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第5回久留倍官衙遺跡講演会「伊勢国と東海道」
平成24年12月8日(土)に、三重県四日市市あさけプラザにて、
第5回久留倍官衙遺跡講演会「伊勢国と東海道」が開催されました。
この場をお借りして、講演会の内容を少しご紹介させていただきます。

久留倍遺跡は、三重県四日市市の朝明川と海蔵川の間の丘陵に位置する古代遺跡で、
掘立柱建物の跡から、役所や官庁の機能を持った古代の官衙遺跡であると考えられています。
また、久留倍官衙遺跡は古代路が推定される位置に面することから、
壬申の乱や聖武天皇の東国行幸の経路との深い関係があることが指摘されています。

久留倍官衙遺跡は、1999年から発掘調査が始まり、2006年に国指定史跡となりました。
遺跡の保護・保存およびその活用について、久留倍官衙遺跡を考える会や、
三重大学人文学部、伊勢湾・熊野地域研究センター・考古学研究室の方々を中心に、
史跡をめぐる「壬申の乱ウォーク」や講演会等さまざまな活動が開催されています。



今回開催された講演会は、「伊勢国と東海道」をテーマに、
三重大学の古代史・中世史・近世史を研究なさっているお3方の教授による講演でした。

山中章名誉教授からは、「久留倍遺跡と東海道朝明駅家」をテーマに、
古代東海道の位置を検討の上、街道沿に面する駅家の構造から、
久留倍遺跡が朝明駅家であったことを論じていただきました。

山田雄司教授からは「紀行文にみる中世北伊勢の交通路」をテーマに
連歌師 宗長が記した『宗長手記』や、連歌師 里村紹巴が記した『富士見道記』などの
紀行文の記述から、古代や近世とは異なる中世の交通路・旅の特徴について、

塚本明教授からは「江戸時代の交通路と四日市・桑名」をテーマに
陸路・海路の河川交通の結節点として発展した、四日市宿・桑名宿の役割や
参宮文化の影響についてご講演いただきました。

講演会後のミニシンポジウム「伊勢国と東海道」では、古代から近世を通して、
道の持つ機能や役割の変遷について、来場者から質問があがっていました。

関心のある方は、次回開催の際にぜひご参加ください。
三重大学人文学部、伊勢湾・熊野地域研究センター主催のイベントは、
チラシでのお知らせのほか、三重大学人文学部ホームページ内で
告知されることがあるようですので、ぜひチェックしてみてください。

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[2012/12/17 16:27] | 未分類 | page top
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