
今でもその情景が目に浮かぶのだが、幼稚園の頃、先生が宮沢賢治の『注文の多い料理店』の読み聞
かせをしてくれた。話が面白くて、怖くて、次はどうなるんだろう、何が隠されているんだろうとドキドキしながら、遊戯室の窓の外の木が生きているように動くのを眺めていた。
そして大人に成って、この物語の絵本を見つけた時、ためらわず買い求めた。以来、この絵本だけで数冊。同じ物語ばかり集めるよりも、いろいろな絵本を集めた方が新鮮で楽しく変化に富んだ世界がひろがるのに、と思わなくはないが、これはこれで面白い。一つの物語から、それぞれの絵本作家が展開するイメージ世界の違いが見られるし、また自分の想像した世界との違いも同時に味わえるからである。
絵本を比較すると(職業柄どうしても比較し、調査し、研究する癖が抜けないので)、絵にしている場面は多少の違いはあっても、ほぼ共通していると言ってもいい。ただ「すっかりイギリス兵のかたち」と表現された、主人公である二人の若い紳士のスタイルが、それぞれ異なって衛兵風やハンター風だったり、何よりも山猫たちのたくらみがバレて正体を現す、物語の中心となる恐怖の場面の表情が各作家それぞれに工夫を凝らしていて楽しめる。
クラシックのコンサートが同じ楽譜を元に演奏しているにもかかわらず、指揮者や演奏家たちの違いによって、それぞれに異なった表現世界を楽しむのと同じようなことなのだろう。こちらに楽しんでしまおうという意欲があればある程、楽しさは増すに違いない。
そう言えば、国宝中の国宝《源氏物語絵巻》(12世紀前半/徳川美術館、五島美術館)も、アートディレクターとも言うべき幾人かの貴族のもとで、当時第一級の宮廷絵師や書家たちがチームを作り、それぞれ異なった場面を選んで競い合った成果と言われている。
ひとつの芸術作品から、また別の人々の想像力の成果として幾つものバラエティに富んだ芸術作品が生まれていくことも、実に楽しいことなのではないだろうか。「想像力」から「創造力」へ。
(吉田 俊英 よしだ・としひで/四日市市立博物館)
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