―ご出身はどちらですか?また高校時代はどのように過ごされましたか? 山口県岩国市です。地元の
岩国高校 に進学しまして弓道部、また生徒会にも入りました。
―岩国高校というと高校野球ファンにも知られています。 3年春の時に選抜に出場しまして、当時江川の作新学院が強くてね。そういう時代です。
―進路についてはどのように考えてらっしゃったんですか? 医学部、というのも考えていたんですけど、まぁ〈生命〉というものに興味があったので、それで動物を扱う畜産学科、というのを考えて、
京都大学農学部畜産学科 へ進学しました。
―大学ではどのようなご研究をされたのですが? 主に肉牛をメインに
家畜生理学 というのをやっていました。また遺伝育種をコンピューターを使って解析したりしていました。やはり〈生命〉が興味対象ですので、こうした遺伝学等の研究そのものは性に合ってたといいますか、面白かったですね。
―就職については如何でしょうか。 いや、あまり考えなかったです。ただ、4回生の時に先輩が
伊藤忠商事のリクルーター をやっていらっしゃって「手をあげたらいつでも採用してやるぞ」なんて言われてたんですけど 、たまたまその年は(伊藤忠が)安宅産業と合併して採用がなかった年だったんです。ですのでそのまま修士にあがって後はズルズルと(笑)
―後はズルズルと(笑) 大学では何かサークルに入っていらっしゃいましたか? サークルはフォークダンスサークル、正しくは
京大民族舞踊研究会 ですね。そこに入ってました、四年間ずっと。家は下宿でしたね。今の学生はみんな真面目に授業聞きますが、我々の時代は聞きませんでしたね。我々の学部の時、まだ教養の時代でしたが1年に10回くらいしか行ってないんじゃないかと思いますよ。しかも麻雀の仲間探しに(笑)
といいますのも
京大の教育モットーは「自学自習」 ですからね。ほったらかしで自分でやれ、なんです。やらなければ
自業自得 になるから覚悟してやれ、って言ってたんですけど今はそういうおおらかな時代ではないですね。
―その後マスター・ドクターと進学されるんですか?そうですね、ドクターの3回生の秋に宮崎大学の助手の口が回ってきたので、そちらにいくことになりました。10月31日までが学生、11月1日から宮崎大学農学部の助手です。
そこで9年間お世話になりました。農協さんといろんな仕事をしましたので、県内の様々なところに行きましたね。平成3年3月までいまして、京大農学部に助教授というかたちで戻りました。平成10年に京都大学の独立研究科で情報学研究科が出来たんです。そこに教授で着任しました。農学部も兼担という形で学部には教えに行ってました。
宮崎県の諸塚村のスギ植林地でのウシ林内放牧の様子 ―ミュージアムとのかかわりということでは如何でしょう。 十数年前から、前の大野館長と協力して京都府教育委員会と連携して出前授業やいろいろやってましたので、そこに関わって毎年博物館と協力して教員の研修講師をやっていました。私は東京に行くとよく
上野の科学博物館 に行きましたね。出張の合間の時間つぶしにちょうどいいんです。ふらっといけるのはいいですね。
情報学研究科の自称「宴会部長」、いつも〆には一本締めの音頭を。 ―三重県の印象は如何ですか? 今は津で家内と一緒に暮らしているのですが、
坂と風が凄い ですね(笑) それ以外は快適に過ごしてます。京都ほど冬の底冷えはないですからね。Miemuもとても立派な博物館だと思いますし、大野前課長が力を入れていろんなことされていたので私もそれを引き継いで行こうかなと思っています。
―守屋館長なりの新しいミュージアム像というのがあればお聞かせ下さい。 博物館はリアルな展示が基本ですよね。これは最低限強化していく必要がある部分ではないかと考えています。バーチャルというのは、それはあくまで補助的なものであって、いかに
リアルなものをリアルとして関心を持ってもらう かが重要ですね。そのためには来てもらわないと困るんですけれども(笑)
私自身、情報系を長いこと研究してきましたので、そちらかから来てると分かるんですけど、やっぱりバーチャルというのはあくまでサブ、補助じゃないかな、という感想を持っています。要するに五感で見ないと、ということですね。ディスプレイ越しに3 D と言っても、これは所詮はまやかしなんで、サイズや質感が表現できないですから。やっぱりリアルを感じること、といういうのは生きていくうえでも〈野生の勘〉じゃないけど、大切な〈勘〉性だと思いますね。
―ぜひ新しい分野からミュージアムへの知見を色々ご教示いただければと思います。最後に、パートナーの方との出会いにつきまして教えていただけますか? 家内はフォークダンスサークルで知り合いました。退職したら家内と一緒にソーシャルダンスを、と思ってたんですけどコロナの状況で全然駄目ですね。
―またご一緒に踊れる日が早く来ればよいですね、本日はどうもありがとうございました。 ありがとうございました。
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守屋さんのお話をもとに構成していますが文責はすべて筆者(杉本竜/桑名市博物館)にあります。
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