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【小津松阪】新人自己紹介と小津映画紹介
小津安二郎松阪記念館にて開催していた企画展「青春のまち松阪」は6月6日をもって無事終了しました。

小津安二郎松阪記念館
小津安二郎松阪記念館館内風景

ご関係者の皆様、ご来館いただいた方々に改めて感謝申し上げます。

この春、松坂城跡にございます松阪市立歴史民俗資料館の2階にオープンしてから早いもので6カ月近くが経ちました。

申し遅れましたが私はちょうどこの施設のオープンに合わせて松阪市に引っ越してきました岩岡と申します。
神奈川の大磯町からまいりました。

この度は歴民の川口館長に文章を書く機会をいただきましたので、自己紹介もかねて出身地である大磯を交えながら小津作品を一つ紹介致します。

そもそも小津安二郎の顕彰施設がなぜ松阪にできたのかということ、小津と松阪の関係については歴民館長が本年4月4日のブログで紹介しておりますので、ぜひご覧ください。

大磯町は東海道線で東京から1時間ほどの海辺にあるかつての宿場町です。

近代以降は新橋のステーションから汽車で通えたこともあり、政界でいえば伊藤博文、経済界でいえば松阪商人の代表 三井家の三井高棟(城山荘)などが執務室や別邸を設け、正宗白鳥や島崎藤村といった小説家も暮らしました。

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城山荘 館南側東方(『写真集 城山荘』より。画像提供:大磯町郷土資料館)


小津日記を読むと大磯に関する記述は女優の高峰三枝子や劇作家の高田保の名前と一緒にたびたび登場します。ハイキングに出掛けているのも印象的です。

さて今回、大磯との関係で紹介する小津映画は昭和7年(1932)に公開された『青春の夢いまいづこ』になります。

この映画は小津のサイレント期の作品であり、同年には『生まれてはみたけれど』という子供の世界と大人の世界、それぞれのルールの差から生まれるやりきれない思いが描かれた名作が公開されています。テーマ的にこの2作は共通するところがありますが『生まれてはみたけれど』で扱われていた子供と大人の構造が『青春の夢いまいづこ』では学生と社会人へと変わっています。

ストーリーの大筋は主人公の堀野(江川宇礼雄)と友人たちとの学園生活が描かれたのち、父の会社を次いで社長となった堀野が彼らを雇用することになって生じた悶着とその和解というものです。不況や失業といった1930年代の小津作品に共通する社会批判的な要素も見受けられます。

堀野は叔父によって縁談を設けられるのですが、好きな人がいるのでまったく興味を示しません。一度目は学生時代であり、父と共謀してコントを演じ相手の母娘を退散することに成功します。

社長となってから描かれた二度目はデート中に学生時代の思い人を発見して、相手を放って彼女のもとへ行ってしまいます。この縁談相手との車中の会話に「大磯の坂田山へでも行きますか?」と彼が言い「うれしいわ」と女が返すシーンがあります。

坂田山
大磯の坂田山

このセリフに特別な意味を見出すことは今では難しいのですが当時は違いました。

実は映画の公開された同年にその“大磯の坂田山”で若い男女のプラトニックな心中事件があったのです。これは話題を呼び、事件に題材をとった映画も公開されています。当時の観客はこのセリフを見て記憶に新しい出来事を思い出し、皮肉なことを言わせるものだと思ったでしょう。堀野からすれば心中するほどの気などさらさらないのですから。

堀野が縁談相手のことを拒否し続けることに変わりはないのですが、コミカルな対応の一回目に対して、さっさと相手を置いて女のもとに駆けて行く2回目は坂田山のセリフを含めて冷淡な印象を与えます。

学生の頃と同じような対人関係に焦がれる彼が、当時の想い人に接近する構図と合わせて学生パートと社会人パートの陰影を際立たせています。

『青春の夢いまいづこ』は社長として立場的に上に位置する主人公の目線から描かれるため、彼の叱責が従業員である友人に与えられた末に訪れる和解という結末にはわだかまりが残ります。それだけに青春の頃の朗らかなシーンが一層まぶしく記憶に残る映画です。

(岩岡太郎 いわおか・たろう/小津安二郎松阪記念館)
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ご寄稿ありがとうございました。ぜひ皆様もリニューアルなりました小津安二郎松阪記念館へお越しください。
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[2021/09/08 22:00] | 未分類 | page top
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