志摩マリンランドは本年3/31をもって営業休止することになりました。
今回は、水族館の歴史について振り返ってみたいと思います。
当館は1970年に近鉄創立60周年記念事業の一つとして、海洋に関する各種科学の資料の蒐集・展示、研究、紹介を通じ、科学知識の普及向上に寄与することを目的に設立されました。当時は
第1次水族館ブームというべき、時代であり地方の海岸近くに今も数多くの水族館が建ち並んでいます。(伊勢志摩には、鳥羽水族館、伊勢シーパラダイス、志摩マリンランドがあるように・・・)
水族館の始まりは、水槽の生簀の魚を見ることが原点であり、四角い水槽を側面から観賞することが主流で、いわゆる汽車窓式の水槽で、当館には今もなお残っています。

やがてアクリル製の技術が進歩し、水槽も大型化して形も四角い水槽はあまり見かけることもなく、円柱型の水槽などが数多く見られ、視点も上から下から
、360度方向からと異空間としての演出を重視するような傾向にあります。照明演出一つとってもLEDが主流となり、今もなお最先端技術の発展途上にあります。


昭和から平成へと移ると、大型水族館が各地にオープンしました。葛西臨海水族園、マリンワールド海の中道(平成元年)、大阪海遊館(平成2年)、名古屋港水族館(平成4年)横浜・八景島シーパラダイス(平成5年)などがあり、これが
第2次水族館ブームと言えるでしょう。
生物もクロマグロ、ジンベイザメ、シャチやベルーガなど大型の生物が水族館で展示されるようになりました。と同時に濾過システムの進歩があることは言うまでもありません。さらに時代が流れると、大都市に立地する水族館も見られるようになり、人工海水で飼育する水族館も現れました。
今現在、
北海道から沖縄まで60施設以上の水族館があります。これは、日本はまわりを海に囲まれた島国であり、
日本人は水族館好きとの由縁なのかもしれません。 (つづく)
【志摩マリンランド 里中知之】
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志摩マリンランド里中さんより水族館の歴史をまとめた小文をお寄せいただきました。
「つづく」とのことですので次回も楽しみですね。
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