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【松阪】旧長谷川治郎兵衛家の展示替えをしました -松阪歴史文化舎-
 旧長谷川治郎兵衛家では、資料を守るためにも3ヶ月に1回、展示替えをしています。8万7000点の資料からテーマを決めて展示します。中心になるのは、5つある蔵の一番大きな蔵です。

1旧長谷川治郎兵衛家の蔵
 9月20日から12月18日「長谷川家の奉公人たち」というテーマで、雇用された奉公人や支配人を務め暖簾(のれん)分けをした「別家」などのことを古記録や生活道具を通して紹介しています。

2蔵内部
さて、蔵の内部はこのようになっていて、本家の商標と別家の暖簾のマークの違いがわかります。長谷川家は、当主が本宅の松坂に居ながらにして経営を奉公人に任せながら、人事権はしっかり握っていました。そのため、厳しい店掟(みせおきて)にしたがい商売の仕方を学ばせました。
 時代が下ると青年学校という長谷川家の私立学校も作りました。

3大正座敷
大正座敷には、支配人が退職するときに祝として本家当主から送られた軸を飾っています。「独りなる呼子のをとも神無月 可同」。
 また、この生け花は未生流の家元様による作品です。

4次の間
大正座敷次の間の床の間には、栃の木でリップルマーク(さざ波のような繊細な模様)のでている一枚板があります。
ここにも、未生流の家元様の作品を飾っています。

 どうぞ、一度、尋ねてみてください。新たな発見があります。
(松阪歴史文化舎のホームページは、こちらです。 https://matsusaka-rekibun.com/)

(松本吉弘 まつもと・よしひろ/旧長谷川治郎兵衛家・旧小津清左衛門家・原田二郎旧宅)
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[2022/09/25 22:00] | 未分類 | page top
【三重県博】第32回企画展「三重の円空」始まります
夏の企画展「集まれ! 三重のクジラとイルカたち」は9月11日(日)で終了いたしました。期間中ファミリー層を中心に多くの方に観覧いただきありがとうございました。次の秋の企画展「三重の円空は10月8日(土)から12月4日(日)まで開催いたします。

江戸時代初期、僧侶円空は仏像を造りながら諸国を旅し、彼が彫った仏像は「円空仏」と呼ばれ、現在五千体以上が確認されています。その多くは岐阜県と愛知県にありますが、三重県には仏像のみならず円空が描いた絵画がまとまって残されており、他県には無い特徴があります。延宝2年(1674)の夏、円空は志摩地方を訪れ大般若経を補修し、その際、見返し部分に釈迦説法図を描いています。最初は各尊(如来や菩薩)を丁寧に描いていますが、やがて奔放な構図へと変化していきました。この企画展では、志摩地方の円空作大般若経見返し絵全点を展示し、作風の変化の様子をご覧いただけるようにいたしました。また、志摩地方滞在後に「円空仏」も初期の丁寧な作風から「木端仏」と呼ばれる独自の作風への変化が見られるようになりました。このように志摩地方は、彼の作風の変化を考える時、重要な役割を果たした場所かもしれません。

恥ずかしながら、私が僧円空を知ったのは京都にいたころに見た、テレビドラマ:十津川警部シリーズ43「伊勢志摩殺人迷路~円空の謎~」(TBS 2010年)とそのモチーフとなった西村京太郎の「近鉄特急伊勢志摩ライナーの罠 :祥伝社文庫 文庫 2012/2/4発刊」を読んだことでした。このドラマは最近でもたまにBSやケーブルTVなどで再放送されているので、ご覧になった方もいると思います。ドラマの方では幻の円空の色彩画をめぐるストーリーとなっていますが、小説、ドラマとも円空にかかわる仏像や絵画、伊勢、志摩などの描写が盛り込まれておりそれなりに楽しめる内容です。

ちなみに西村京太郎はトラベルミステリー作家としても有名で、今年(2022年)に亡くなるまで多数の小説を書いています。特に十津川警部シリーズはすべての在京キー局がドラマ化しており、計16名の俳優がこれまでに十津川警部を演じています。私はそのほとんどを見ておりますが、TBS系の渡瀬恒彦の十津川警部と伊東四朗の亀井刑事の組み合わせが小説のイメージに合っているように思います。

それはさておき、是非、秋の企画展「三重の円空」に来館いただき「円空仏」、「大般若経見返し絵」を堪能いただければと思います。来館お待ちいたしております。

(守屋 和幸 もりや・かずゆき/三重県総合博物館)
[2022/09/18 22:00] | 未分類 | page top
【桑名市博】村正の斬れ味
代打で失礼いたします。

先日、関西大学で開催されました講談師・神田伯山師匠、河内國平刀匠の講演会に参加致しました。

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関西大学博物館では國平刀匠の作刀にならび、先祖にあたる河内守國助も展示されていました。
ちょうど現在、当館の刀剣セレクションにて國助を展示しており、大変勉強になりました。

さて講談ですが、伯山師匠が披露された「正宗の婿取り」で村正が登場します。

史実では村正は正宗の弟子ではないのであくまで「講談」なのですが、それでも実際あったように思わせる話芸はやはり伯山師匠の腕前の素晴らしさだと改めて思いました。

その講談中、村正の斬れ味の鋭さがカギを握るのですが、はたして村正はよく切れるといいますが実際はどうなのでしょうか。

一つのヒントとして、研師永山光幹氏の話に、

実際に研いでみるとやはり他の刀と異なる点があります。 よく切れる刀です。 しかも荒々 しい切れ味です。 古名刀などですと、研いでいて知らず知らずのうちに手に食い込んでいて、血をみてはじめて痛みを感じますが、 村正はこれと対照的に切ると即座に痛みを感じます。このことは、刃が硬ければ何でも切れるということではなく、鍛錬によって刃味も切れ方も異なってくるという一つの証拠だと思います。
大野正『日本刀職人職談』光芸出版、1994、61頁

とあるように利刀であることを認めつつ、古名刀とは鍛錬に相違があるとしています。

また本阿弥日洲氏も、

切れるといえば、すぐに思い出されるのが、妖刀として名高い村正でしょう。
同書、48頁

と述べており、やはり斬れ味を評価しています。時代を代表する研師が仰られる以上、どうやら村正は良く斬れる、と判断してもよさそうです。

その利刀・村正ですが、現在、桑名市博物館では1振(撮影可)を展示していますのでぜひご来館ください。

また当館の村正は現在岐阜県羽島市の不二竹鼻町屋ギャラリーでも展示してますのでそちらもあわせてお楽しみください。

(杉本 竜 すぎもと・りゅう/桑名市博物館)
[2022/09/11 22:00] | 未分類 | page top
【四博】「収集癖・その6」
これまで私の担当ブログの中で「収集癖」と題して、メジャーから菓子缶まで5回にも渡って書かせていただいた。
今回はその最終回ということで、「収集(癖)」そのものの意義について書かせていただく。

私は物理的に作品を作ること、そのことだけが創作活動だとは考えていない。

「作品を集(蒐)めること」
「並べ替えて異なった視点を作り出すこと」

りっぱな創作だと思っている。

特に収集は、自分で直接ものを作らなくても、ある一定の法則(中にはその法則すら無い人もいるかも知れない)によって集めて来たものが、一つの世界観を創り出す。人によってその世界は違うだろうし、その背後から、その人の個性が滲み出ることもあれば、人間そのものの「バカバカしさ」「凄さ」「優しさ」「怖さ」「美しさ」「醜さ」「面白さ」等々が立ち上がってくるかも知れない。

ミュージアム
(博物館、美術館、科学館、水族館、動植物園、等広い意味での博物館)の成り立ちをみても、個人や王室や国家のコレクションが元となって、今日に至る世界を代表するミュージアムとなった例は数多く、また小規模でも個性的な内容で他を圧倒するような館も無数に存在する。

そんな訳で、個人的な密やかな楽しみから世界中の大勢の人々を楽しませるものまで、程度の差はあれ、人間の収集癖に発する営みは今後も永遠になくなることはないだろう。 

最近の「そんなもの」(1)
最近集めた「そんなもの」

もっとも「何を集めるか」が問題になるところだろうけど、私はその敷居を出来るだけ低くしておいた方が、その時代時代に生きる人間たちの営みが作り出したもの、言い換えれば文化の素顔が明らかになっていいと思う。 と言い訳しながら、今日も「そんなもの集めてどうするの?」という「そんなもの」を探し続けている。

(吉田俊英 よしだ・としひで/四日市市立博物館)

ちなみに四日市市立博物館は

9月 1日(木)~2023年 2月10日(金)の期間

空調工事のリニューアルのため、休館いたしております。よろしくご承知置きください。
[2022/09/04 22:00] | 未分類 | page top
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