宣長先生絶対視、というような傾向がある。
本居宣長ほどの人には知らないことなんて無いだろうなぁ、とか。
1000年読むことが出来なかった『古事記』を解読出来たような人だから、何もかも分かっているんじゃないかな、とかとか。
偉業を成し遂げた人物には、付いて回りがちな見られ方かもしれない。
現在、本居宣長記念館では冬の企画展
「心力をつくして 『古事記伝』への道」が開催中だ。(3月6日〔日〕まで)

≪冬の企画展 チラシ≫
その展示資料を見ていると、意外なことが浮き彫りになってきた。
かの宣長先生にも、
「わからない」ということは多かったのである。
宣長の代表作『古事記伝』にも、その言葉は多く登場する。
712年に編纂された、現存最古の歴史書『古事記』。それを読めるようにした注釈書が、宣長の『古事記伝』である。
『古事記伝』には、本文の読み方から登場する地名・動植物、場所の推定、言葉の意味など、実にさまざまな面からの解説が書かれている。

≪宣長自筆の『古事記伝』再稿本 巻10 【国重文】≫
大きい字が『古事記』本文、小さい字が本文の注釈部分。本文には全てカタカナで読みが振られている。
この注釈部分に、
「未ダ思ヒ得ズ」―つまり、「わからない」というフレーズが度々出てくるのだ。
宣長は『古事記』本文冒頭の「天地初発之時」の「天」を「アメ」と読むとしながらも、「アメ」という言葉の意味については保留している。

≪『古事記伝』再稿本 巻3 【国重文】≫
「天地」は「アメツチ」の漢字であり、「天」は「アメ」という。しかし、「アメ」という言葉の意味については、よくわからない。
多くの言葉について、元の意味を説き明かすというのは非常に困難なことで、無理に理屈をつけようとすると、必ず誤った説が出来てしまうものだ。今も昔も、多くある説のうち8~9割方は見当違いなことばかりである。
結論は「よくわからなかった」ということ、わからないことに無理に理由付けをしようとする危険性を示し、それでも「とはいっても、一向に考えを出さないわけにもいかないので、考えが及ぶ限り試みる」と言い、さまざまな可能性について頭をひねって考えている。
実に宣長らしい、慎重な態度だ。
これが、「わからない」と発言する宣長の考え方である。
ただ、宣長さんの「わからない」は、私みたいな人間が「わからない、わからない…」と言っているのとは、訳が違う。
後編では、宣長の『古事記』研究活動を詳しく観察してみよう。そして、凡人の「わからない」との違いに、よりビックリ!して頂きたい。
西山杏奈(にしやま・あんな/本居宣長記念館)
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宣長先生ほどの碩学になられるとわからないがレベチですね…。後編(来週2月9日にアップ予定。西山先生の次週作にご期待ください!)