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【桑名市博】三博協の中の人の履歴書 片山裕之さん(朝日町歴史博物館)
―ご出身はどちらですか?

地元なんです。三重県朝日町です。

―どういうふうな子ども時代を過ごされましたか?


子どものときは野球が好きで、よくやってました。クラブとかそんなのじゃなくて、子どもたちでやる野球です。空地があったのでそこでよくやってました。野球は中日ドラゴンズのファンですが、最近はサッカーにも関心が移っていて、名古屋グランパスのファンでもあります。

―小中学校は地元ですか?

はい、中学校は朝日と川越の組合立の明和中学校というとこです。ハンドボールが強いところで、近所の人が行ってたので私も入部しまして、中学はハンドボール漬けの毎日でしたね。土日も練習や試合があって…。高校は川越高校なんですけど、最初はハンドボール部に入りましたがやめて、家の手伝いやブラブラ遊んだりしてました。

―おうちはお店をされてたんですか?


そうですね、お酒がメインで、あといろいろ取り扱ってました。お酒の配達などもしましたよ。なので忙しいときは手伝ってね。特に継げとかは言われなかったので、このままどこか会社員になるのかな、みたいな感じで松阪大学に進学しました。政治経済学部です。歴史の本は好きでよく読んでましたね。戦国時代なども好きなので本多忠勝展も拝見させていただきました。

―それはありがとうございます(笑) 大学まで結構距離があるかと思うんですが通われたんですか?

そうですね、ずっと通いでした。なので一人暮らしをしたことはありません(笑)

―将来、公務員になろうと思ったきっかけはどのようなものですか?

家の手伝いがありましたので、地元に近いところで、というところがありましたね。まあ家をすぐに継げということは言われなかったのと、小売りも厳しい時代になっていましたのでその中で「役場も近いしええかな」という気持ちになりました。もちろん、公共のため、公のために働きたいという気持ちもありました。

―役場に入庁されて主にどのような仕事をされてこられましたか?

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そうですね。色々やってきましたが財政・総務・企画広報…いろいろ、一通りやってきましたね。教育委員会に出たことが初めてなんです。なので図書館とか資料館、博物館には来たことがありませんね。

―これまで経験がないところで館長職、というトップに就かれたのはなかなか大変な重責だと思うのですが、そのあたりは如何でしょうか。

最初はやはり戸惑いましたね、自分で務まるかなあ、という感じでした。ただ、館の職員の方が慣れておられるベテランの方でしたから、そこは安心でしたね。いろいろ助けてもらいながら、仕事に慣れていってるところです。あと、役場の中から見ていた博物館と、いざ中で働いてみると印象が全然違いますね。やはり中で働いてみると図書館にしても博物館にしてもイベントが多いし、その準備にかかり切りですよね。ひとつやったらまた次と。そうした中で色々やっているということは役場だとやはり見えてこない部分があるかと思います。もっと静かな職場と思っていましたから。逆に博物館の中にいると、役場の様々な情報が入って来づらくなりますね。そういう情報共有をフォローしていくのが私の役目かな、と漠然と思っています。

―行政と博物館現場をつなぐ意識、ということでしょうか。

そうですね。そのあたりはやはり意識的に取り組んでい行きたいと思います。

―最後に、目指していきたいミュージアム像を教えていただけますでしょうか。あと恒例のパートナーの方についても教えていただければありがたいです。

まだね、自分もわからないことも多いと思うんですがまずは町民の皆さんが気軽にね、来館しやすい博物館であり図書館でありたいと思います。そしてそのためにはいろんな人に来てもらえるような情報発信ですね、そうしたところにも力を入れていければと思っています。
パートナーですか、やはりこの質問はあるんですね(笑)
友達の紹介で知り合いました。

―わかりました、町民の方に親しまれるような博物館像をぜひ作り上げていただきたいと思います。ありがとうございました。


ありがとうございました。
――――
本人へのインタビューをもとに構成していますが、文責はすべて杉本竜(桑名市博物館)にあります。
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[2022/01/30 22:00] | 中の人の履歴書 | page top
【朝日歴博】不運な「文化教養講座」
朝日町歴史博物館の片山です。

もう、新年が明けてだいぶ経っていますが
 
新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。


今年は良い1年にしたいと思っていた矢先に新型コロナウイルスが息を吹き返し、「まん延防止等重点措置」が発令されてしまいました。

その余波を受けて、2月12日(土)開催予定であった当館の人気講座である「文化教養講座」が残念ながら中止となってしまいました。

「文化教養講座」は、毎回、参加申し込みの際には、すぐに定員が埋まってしまう人気の講座です。

写真①

新型コロナウイルスが発生するまでは、主に県内外から講師を招き、講演会を行っていましたが、昨年度からコロナウイルスの関係で講師を招く事が難しいため、当館の学芸員が講師を務めています。

人気講座であるこの講演会で講師を務めるために、当館学芸員は早くから勉強し、参加者を楽しませるような講義になるよう努力しています。

その仕事ぶりには、頭が下がる思いです。

その結果が、多くの参加申し込みと講座参加者の熱心さとして返ってくる訳ですから、講師としてはやりがいのある仕事だと思います。

そんな「文化教養講座」ですが、今年度は、運悪く第1回目と今回の第3回目がコロナウイルスにより中止となってしまいました。
人気講座だけに開催できないのは残念です。

私の運が悪いのか、1回目と3回目の講師を担当する予定だった学芸員の運がいいのか分かりませんが、来年度は、全ての回で実施したいと思います。
(片山 裕之 かたやま・ひろゆき/朝日町歴史博物館)
*****
ご無念お察し申し上げます。来年度は無事開催できることを願っております!
[2022/01/23 22:00] | 未分類 | page top
【三重県博】展覧会を開くための大事な準備についてのご紹介(後編)
前回は展示ケース内の照明についてお話しましたが、今回は展示ケースの外の照明についてお話します。

展示室全体を照らす場合、天井灯(てんじょうとう)と呼んでいる照明を点灯し、部屋全体をまんべんなく明るくします。展示ケース内に入らない大型の資料をピンポイントで照らす場合、天井にある配電レールを使用してスポットライトを取り付け、対象物にきちんと光があたるよう角度を調整したり、照明の強さをリモコン操作で調整したりします。

三重県総合博物館にお越し頂いた方はご存知と思いますが、当館の企画展示室は天井が高く、天井高は6メートルもあります。スポットライトをつける際は、その6メートル高の天井付近まで接近する必要があるのです。

6メートルの天井に取り付けるためにどうするのか。そこで登場するのが高所作業車です。

高所作業車_s

三重県総合博物館で使用している高所作業車は自走式高所作業車と呼ばれるもので、昇降機構がシザーズ式と呼ばれる菱形のアームを伸縮させるものです。

高所作業車の運転操作には資格が必要となり、MieMuが所有しているタイプのものは「高所作業車運転特別教育」を修了する必要があります。

また、高所作業ですので作業中はヘルメットと着用が義務付けられており、そこだけ見ると企画展示室の中なのか?といった様子です。(みえむ@ほーむに高所作業車が動く様子がありますので、良ければご覧ください)

企画展が始まる前と閉幕してからしか出番がありませんし、もし期間中の作業が発生しても閉館後となるため、来館者の方が高所作業車を目にする機会はほとんどありませんが、三重県総合博物館にお越しの際は天井にある照明を見て、「ああ、高所作業車で取り付けたんだな」「あちこちにライトがあるという事は展示室内を高所作業車で動き回ったのだな。」と、作業の様子にちらっとおもいをはせていただければと思います。
(甲斐由香里 かい・ゆかり/三重県総合博物館)
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ぜひ動画の方もご覧いただき、博物館の知られざる業務を知っていただけると幸いです。
[2022/01/19 22:00] | 未分類 | page top
【小津松阪】小津安二郎監督作品『秋刀魚の味』で子供たちはどこへ行ったのか?
小津安二郎松阪記念館の岩岡です。

前回は私の出身地である大磯との関係で小津安二郎監督作品『青春のゆめいまいづこ』(1932年)を紹介させていただきました。

今回は小津監督の遺作にあたる『秋刀魚の味』(1962年)について文章を書かせていただきます。

平山家セット(ミニチュア)

小津監督作品に欠かすことができない存在として無邪気な子供たちがいます。時に物語の主役として、時に物語を引き立たせる脇役として活躍するのですが、小津監督の遺作『秋刀魚の味』では、この子供たちが一見変わった形で登場しています。

『秋刀魚の味』の簡単なあらすじを紹介しましょう。

川崎のとある企業で監査を務める平山周吉(笠智衆)、妻を亡くした彼には年頃の娘路子(岩下志麻)がいますが、ついつい頼りにしてしまい彼女はまだ結婚していません。

周吉の周りでは、父親の世話を焼くあまり独身であるという事務員、娘と同い年で寿退社する職員が次々に現れます。

そして旧制中学の恩師“ひょうたん”こと佐久間(東野栄治郎)と同窓会で再会し、かつて奇麗だった彼の娘が今でも父と暮らしており、どうもその態度がギスギスしているのを知って心配になりました。

ひょうたんは妻を亡くした後に娘を頼って嫁にやらなかったことを悔い、周吉はそんな恩師の状況と弱った姿を見て「俺はああはならない」と言いながら、ついに娘に見合いを持ち掛けるのでした――。

物語の核となる平山家は父と息子2人、娘1人で構成されています(図1)。

図1

そのうち長男の幸一(佐田啓二)は結婚し、妻・秋子(岡田茉莉子)と団地で暮らしていますが二人の間に子供はありません。

次男の和夫(三上真一郎)は大学生、長女の路子は前述のようにまだ結婚していません。和夫はやや子供らしい役どころですが、平山家に幼い子供の姿はないのです。

しかし、実は『秋刀魚の味』には、これまでの映画に出てきた子供たちの性格や行動をよく引き継いだ人物が出てきます。それは長男の幸一です。

映画の中盤で展開されるゴルフクラブを巡るコントで、幸一はマクレガーのゴルフグラブを欲しがり、間接的に父に買ってもらおうと画策します。欲しいものが手に入らなくて拗ねたり、買ってもらって喜ぶ彼の姿は子供っぽく、不貞腐れて寝転ぶ様子は小津作品でそれまで子供たちがとってきたポーズと一致しています。

父が愛娘を手放した日に周吉は幸一に子供をつくるよう勧めます。幸一自身も自分が生まれたときの父の年齢を気にかけている描写がありますが、子供ができないようにしていたのです。

父と娘が一つの生活を捨て新しい生活に入ったように、幸一たちにも新たな生活に入るよう諭すシーンは、子供たちの姿を隠し、その性格を幸一に持たせたことでより豊かになったと言えるでしょう。

(岩岡太郎 いわおか・たろう/小津安二郎松阪記念館)
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岩岡さんより『秋刀魚の味』へのご高論を頂戴いたしました、ありがとうございました。
小津映画は画面がすべて「画」になるところが素晴らしいですね。小津が生きていたらどんなインスタをしたのか、気になりますね。
[2022/01/16 22:00] | 未分類 | page top
【海博】開館50周年特別展
海の博物館開館50周年特別展

「海民とともに半世紀 海の博物館」

開催中です

海の博物館は、2021(令和3)年12月7日で開館から50年を迎えました。

今回の特別展では、「海の博物館の誕生にまつわる発意」、旧博物館の「模型」や「写真」、国・重要有形民俗文化財の指定作業で描かれた「漁具図面」、収蔵庫や展示棟の「建築模型」や「建築図面」などを展示しています。

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また50年にわたる「歴史年表」、収集・保管している「漁具」や「信仰用具」(下記に紹介)、「海図」、「漁村文書」、「図書文献」、「古写真」の他、過去に開催した特別展ポスター類、海の博物館が行った調査活動の報告書なども展示しました。

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海の博物館の歴史や博物館活動の成果を理解していただける資料を展示・紹介しています。

特にSOS運動の情報誌『SOS』(1号から200号)や現在も発行している『海とにんげん&SOS』(1号から34号)、海の博物館の年報『海と人間』(1号から32号)は欠号なく展示。特別展の図録では『里海「伊勢湾」を救え! 生きものたちからのSOS』(2002年9月)、『海からの恵み海藻 広がる未来への夢』(2005年12月)などを。また調査報告としては『日本列島沿海における「船競漕」の存在分布調査報告書』(2001年)、『全国の船大工存在確認調査報告書』(2003年)、『木造和船の造船可能性調査報告書』(2005年)、『日本列島海女存在確認調査報告書』(2011年)などを展示・閲覧できます。

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実物の有形民俗資料も下記のものを展示しています。
・「ワカメマキ」(資料番号1)最初に海の博物館の資料として受け入れられたワカメを巻きとる漁具
・「ツナワ」天保6(1835)年の記銘がある麻を強く撚り合わせて釣糸をつくる道具
・「アバリツボ」絵柄や年代、個人の名前などを彫り込んだ網針を入れる道具(11点)
・「シビツキと木箱」安政4(1854)年の墨書がある釣針にかかったシビ(マグロ)に打ち込むモリサキ
・「漁業鑑札」明治年代の漁業鑑札(14点)
・「エビスサン」漁家から寄贈されたエビス像(12体)
・「オフダ・オマモリ」神島の漁家から寄贈された御札御守類「(36点)
・「釣針の見本」(額入り)(2点)
・「チョロ」(資料番号63000)鳥羽地方で使われていた小型漁船の模型

期間は2022年3月31日までです。
海の博物館に興味のあるかたは、この機会にぜひご来館ください。

(平賀大蔵 ひらが・だいぞう/鳥羽市立海の博物館)
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海博さん50年の歴史をいっきに振り返ることのできる良い機会ですので、ぜひお越しください!
[2022/01/09 22:00] | 未分類 | page top
【鳥羽水】鳥羽水族館のお正月
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

2022年ブログ第一号の栄誉にあずかり、幸先の良いスタートとなりました。

思い起こせば昨年は、コロナに明けコロナに暮れた一年でした。特に夏から秋にかけての第五波には打ちのめされました。
非常事態宣言が発令され、一年で最もかき入れ時である夏休みの営業チャンスを逃してしまったのですから…。
しかし、今さら過去のことを言っても始まりません。何事もポジティブに考えましょう。

さて、お正月と言えば全国的に休日ですよね。

しばしば「鳥羽水族館の定休日はいつですか?」と聞かれます。実は鳥羽水族館は定休日が無く年中無休で営業をおこなっています。飼育動物は毎日餌を食べてくれますし、誰かが世話をしなければなりません。

「じゃ、いっそのこと年中無休でいいじゃない?」

と創始者が言ったかどうかは分かりませんが、鳥羽水族館は開館以来67年間毎日休みなく営業を続けてきました。それはある意味我々の「誇り」のようなものだったのですが、実は昨年の春コロナ禍で開館以来初の休館を余儀なくされてしまったのです。

今では珍しくなりましたが、私が子供の頃は、お正月(特に元旦の朝)と言えば、どこもかしこも店が閉まっていて、ほとんどの家族は家で団欒を過ごしていたものです。今はコンビニはもとより、多くのレジャー施設や百貨店、スーパー等は営業しており、普段の日祝日とあまり変わりありません。働きすぎはよくないと知りつつつい働いてしまうのは、勤勉な日本人の性(さが)なのでしょうね、きっと。

とりとめのない話を書いてしまいましたが、鳥羽水族館では今(12月30日~1月3日)、お正月イベントを行なっています。

タイトルは「トラトラ神社」でおめでタイガー ~吠えろ! 鳥羽水のトラたち~と言います。
鳥羽水族館「トラトラ神社」(イメージ)

もちろん今年の干支、寅年にちなんだ企画ですが、毎年館内に設営される神社に初詣して、皆さんの家内安全、祈願成就をお願いしてみてはいかがでしょうか?

寅年にちなんで最後に一言。
皆さん、今年は固定概念にトラわれず、新しいことにトライする一年にしましょう!

(若井嘉人 わかい・よしひと/鳥羽水族館)
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COVID-19の収束も神社にお願いしたいところです。本年もどうぞ三重県博物館協会をどうぞ宜しくお願い申し上げます。
[2022/01/02 22:00] | 未分類 | page top
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