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【松阪】旧長谷川治郎兵衛家・旧小津清左衛門家・原田二郎旧宅の3施設を紹介します!
はじめまして。旧長谷川治郎兵衛家・旧小津清左衛門家・原田二郎旧宅の3施設を管理運営業務しているNPO法人松阪歴史文化舎の扇野(おぎの)です。

今回は3施設を簡単に紹介したいと思います。少しでも魅力が伝われば幸いです!

○旧長谷川治郎兵衛家
長谷川家は、数多い江戸店持ち伊勢商人の中でも、いち早く江戸へ進出し、成功をおさめた松阪屈指の豪商です。長谷川家3代当主政幸を創業の祖とし、後には江戸の大伝馬町一丁目に5軒の出店を構える木綿商となります。

江戸での成功で、松阪の本宅(魚町)は徐々に敷地を広げ、増築・新築を繰り返しながら大きな屋敷になりました。平成27年に庭園を含む敷地が三重県指定史跡及び名勝に、翌年には建物群が国指定重要文化財として指定を受けています。

長谷川家庭園(正)
(庭園)

長谷川家大蔵(正)
(大蔵)

また長谷川家には、創業以来大切に保管されてきた商業資料、古文書、蔵書類及び商業関係の諸道具、生活用具など、膨大な資料が良好な状態で保存されており、それらの資料を基に年に4回の企画展示を開催しています。(【宣伝】現在は、近代茶道の先駆者と称される裏千家11世 玄々斎と長谷川家の交友関係を紹介する企画展示「長谷川家と玄々斎」(開期9/15~12/19)を開催しています!)

その他にも長谷川家では、呈茶サービスや子ども華道教室、機織り体験などを行なっています。

○旧小津清左衛門家
小津家も江戸へ進出し、成功をおさめた松阪屈指の豪商です。小津は江戸の大伝馬町で小津屋紙店を創業し、その後、伊勢屋木綿店、大橋屋紙店を開業しました。

小津家も長谷川家と同様に商人として成功するのに合わせ、本宅(本町)は敷地を広げ、増築を繰り返し、大きな屋敷になりました。なお、現在建物は「旧小津家住宅」として三重県指定有形文化財(建造物)に、土地は「旧小津清左衛門家」として松阪市指定史跡になっています。

小津家外観(正)
(小津家外観)

小津家内観(正)
(小津家内観)

また小津家には、商業資料、古文書、蔵書類及び商業関係の諸道具、生活用具などの伊勢商人の繁栄の証を今に伝える貴重な資料が残されており、それらの資料を基に松阪商人に関する展示や松阪に関連した企画展示を年に4回開催しています。(【宣伝】現在は、小津清左衛門家 歴代当主の篤い神仏に対する信仰心や小津家で執り行われてきた年中行事を紹介する企画展示「小津家の信仰と年中行事」(開期9/29~1/9)を開催しています!)

その他にも小津家では、子ども茶道教室などが行なわれています。

○原田二郎旧宅
原田二郎は、明治から大正にかけての実業家です。大正9年には公益財団法人原田積善会を設立し、全国での社会貢献活動の他、松阪市でも、初めての学校給食の実施、病院の建設、桜の植樹運動、大学生への奨学金の支給などに貢献しています。
原田二郎の生家(殿町)は、旧紀州藩同心の居住した武家屋敷で、平成22年には松阪市指定有形文化財(建造物)に指定されています。

原田旧宅(正)

(原田二郎旧宅外観)
また、原田旧宅では、武士の町「同心町」に焦点を当てた展示や原田二郎関連の企画展示を年に3回行なっています。(【宣伝】現在は、紀州藩と松阪の関係を紹介する企画展示「紀州藩と松坂」(開期8/18~12/12)を開催しています!)

その他にも原田旧宅では、手作り甲冑の着付け体験など行なっています。

3施設ともそれぞれ特色が有り、大変魅力的です!

3施設の日々の様子や企画展示の情報は館長ブログInstagramにて紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!

(扇野耕多 おぎの・こうた/NPO法人松阪歴史文化舎)
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行楽の秋です。ぜひ皆さまも松阪をぶらりと楽しんでみてはいかがでしょうか。
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[2021/10/27 22:00] | 未分類 | page top
【海博】青の造形 中央構造線上の漁村空間
鳥羽市立海の博物館の平賀です。

今回は、現在開催中の「青の造形 中央構造線上の漁村空間」について紹介させていただきます。

鳥羽市立海の博物館では、11月23日(火)まで展覧会「青の造形 中央構造線上の漁村空間」を開催しています。

この展覧会は、青石(緑色片岩)で空間が創られた漁村に着目し、三重県鳥羽市の離島、和歌山県和歌山市・海南市の和歌浦湾域、愛媛県西宇和郡伊方町の半島の漁村を建築学の側面から紹介したものです。

PA110116.jpg

これらの地域は中央構造線上に位置し、青石が多く露出することから、さまざまな青石の使われ方で漁村空間が形成されているのが特徴です。

PA110115.jpg

会場では、青石の創り出す漁村の街並みや路地、石垣、民家などを図面・スケッチ・写真・地形模型などで展示・紹介して、それぞれの漁村の魅力を感じてとってもらうことができます。

鳥羽の離島漁村、神島、答志、和具浦、桃取、菅島、坂手の6地区などの精巧な地形模型は圧巻です。また各漁村から採集した青石の実物を展示するとともに青石を利用している漁村をめぐる動画も放映しています。

PA110118.jpg

ミカンの出荷箱を積み上げて造り上げた特別な雰囲気を感じる会場で、青石を使ったさまざまな漁村空間に出逢ってみてください。

11月14日には講演会「鳥羽の離島:漁村空間の価値」、11月21日には事例紹介「漁村の魅力-見つけ方/活かし方/残し方-」を開催します。
場所:鳥羽市立海の博物館内 映像ホール。どちらも定員50名(要申し込み・先着順)、
入場料:海の博物館の入館料金

(平賀大蔵 ひらが・だいぞう/鳥羽市立海の博物館)
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展示室の迫力がすごいですね!
[2021/10/27 22:00] | 未分類 | page top
【鳥羽水】水族館の「田んぼ水槽」
先日、鳥羽水族館の里山コーナーにある「田んぼ水槽」で、新入社員による恒例の「稲刈り」が行われました。

実はこの水槽、私が今からちょうど20年前に苦労して立ち上げた思い出深い水槽なのです。

今回はこの「田んぼ水槽」を皆さんに紹介したいと思います。

4月田植えをする新入社員
4月田植えをする新入社員

当時私は飼育研究部の淡水魚部門の仕事をしていましたが、ある日、一緒に館内を歩いていた上司が、観覧側の片隅に出来たほんのわずかなスペースを見つけて、

「ここに田んぼの水槽作ったらどうかな?任せるから考えてみて!」

と言われたのがきっかけでした。

そこは面積1坪に満たない袋小路のような場所。ここに日本初(?)となるユニークな田んぼの水槽を作るというのです。何と言っても上司の命令は絶対です。私はまずモデルとなる田んぼを探して粘土で模型を作ることにしました。

運よくと言うか、私の家のすぐ横に小さな段々畑があり、この風景を切り取ることにしました。田んぼだけでは面白くないので、山から水を引いている用水路やあぜ道、土手に植わっている柿の木も再現してみました。水槽内で飼育する生物も、カワムツ・ヤリタナゴ・タモロコ・メダカ・ドジョウなど種類は豊富です。

また水槽は水族館の展示として見ごたえのあるものでなければいけませんし、何と言ってもお米が収穫されなければ意味がありません。近くの農家の専門家に教えを請い、土の作り方から苗の植え方、肥料、刈り取りに至るまで親切に教えていただきました。また太陽光に近いライトを設置し稲の生育を促しました。そのかいもあって初年度の秋にはなんと、もち米が350g収穫できたのです。このもち米は、初収穫を記念して鏡餅にして正月に水槽前で展示することが出来ました。

10月稲刈りをする新入社員
10月稲刈りをする新入社員

米という漢字は八十八と書きます。収穫までには、それだけものすごい手間がかかるということが作業を通じて身に染みてよく分かりました。また田んぼの生態系は、多様な生物が人間と共存できる場でもあります。しかし、最近では農薬散布の影響で、生息する生物が激減していると聞きます。カエルやオタマジャクシ、ザリガニが当たり前にいた昔の田んぼはどんどん減少しているそうです。また農家の後継者不足や過疎化によって、耕作放棄地が増加していることも気がかりです。

将来、日本から田んぼがなくなるなんてことはないと思いますが、水族館の田んぼ水槽を通じて生物多様性の宝庫である田んぼの素晴らしさや、その必要性を人々に伝えたいと思います。

(若井嘉人 わかい・よしひと/鳥羽水族館)
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新入社員さんが担当しているということは新米が新米を収穫してるというわけですね。
[2021/10/24 22:00] | 未分類 | page top
【斎宮歴博】「斎宮平安五種競技―弓・馬・鞠・鷹・相撲」
斎宮歴史博物館の大西です。

当館に着任し、半年が経過しました。

今年度に入ってからも、5月に「まん延防止等重点措置」が発令され、感染防止対策を取りながら開館してきたところですが、夏には三重県でも感染者が急増し、「緊急事態措置」が発令され、9月末までの約1か月間休館しておりました。

毎日、出勤時に“臨時休館”という看板を見るたびに寂しい思いをしておりました。

10月1日からは、「緊急事態措置」も終わり、通常通りに開館でき、10月2日からは特別展「斎宮平安五種競技―弓・馬・鞠・鷹・相撲」を予定どおり開催しております。

開館できることに、これほどの喜びを感じるとは思っていませんでした。

① chirashi_koho

秋の特別展(10月2日(土)~11月21日(日))は、9月末から三重県で開催を予定しておりました「三重とこわか国体・とこわか大会」の開催を記念する展覧会として準備を進めていましたが、残念ながら、国体・大会については中止になりました。

しかしながら、秋といえば芸術の秋であり、スポーツの秋でもありますので、いにしえのスポーツを描いた美術作品に触れるとともに、資料・作品中に描かれたスポーツの様相や歴史をお楽しみいただき、当時の人々が現代の我々同様にスポーツに親しんでいた様子に触れていただければと思っています。

②genji_wakana

③sumo_2

コロナ禍において、準備を進めてきた特別展が開催できるだけで嬉しく思っていますが、欲を言えば、一人でも多くの方に観覧していただきたいというのが本音です。

いい季節となってきましたので、斎宮でお待ちしております。

(大西 宏明 おおにし・ひろあき/斎宮歴史博物館)
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身体を動かすのに良い季節となりました。斎宮周辺はウォーキングにももってこいですのでぜひご来館ください!
[2021/10/17 22:00] | 未分類 | page top
【松阪歴民】 「多士済済 松阪に生まれた本草学者たち」
今回は、薬学や医学の歴史の中で、必ず登場する(と言ってもよい)江戸時代に活躍した松阪に生まれた3人の本草学者をほんのさわりですが紹介したいと思います。

本草学は、中国で生まれた主として薬用となる植物・動物・鉱物などを研究する学問ですが、日本でも、江戸時代になり、社会が安定するとともに、本草学から、植物学、博物学などの自然科学、そして、蘭学と結びつき医学としても大きく発展します。

まずは、当時紀州藩領であった勢州松阪では、元紀州藩主の八代将軍吉宗に召し出され、多くの優秀な人材が江戸に出ていきますが、その中からの2人です。

まずひとりは、8代将軍吉宗と次の将軍の時代に幕府の薬草(医療)政策を担うまでになった医者の丹羽正伯です。

吉宗に登用され、当初は、採薬使として、野呂元丈(蘭学の創始者;勢州多気郡)などと日光、箱根、佐渡など薬草調査を行い、後に15万坪もの幕府直轄の薬草園の管理経営を任されます。

その後、全国の藩に動植物、鉱産物等を調査報告させ、それらをまとめた千巻を超える『庶物類纂』を完成させます。また、庶民のために手軽な応急処置や薬の処方を解説した『普救類方』や『救民薬方』を著しました。

「普救類方」丹羽正伯
丹羽正伯著「普救類方」

「救民薬方」丹羽正伯
丹羽正伯著「救民薬方」

もう一人は、大本草家であり、吉宗の御庭番(隠密)であったという植村政勝です。

採薬使として34年に渡り、諸国を採薬しながら調査を行い『諸州採薬記』など多くの記録(著作)を残しました。また、薬草園の経営にもあたり、朝鮮人参などの栽培を手掛けます。

しかし一方では、幕府の御庭番(隠密)としての顔も持ち、薬草調査のかたわら諸藩の状況も探索していました。隠居後の吉宗は、政勝が諸国で見聞したことを聞くのが楽しみであったといいます。

「諸国名所並びに大難所寄書」植村政勝
植村政勝著「諸国名所並びに大難所寄書」

3人目は、江戸後期、漢方医を志して江戸に出ましたが、蘭学に出会い、後に「蘭学中期の大立者」と呼ばれるようになった宇田川玄真です。

大槻玄沢らに蘭学を学び、その才能が認められ、『解体新書』を著した杉田玄白の娘と結婚、養子となりますが、慢心からか放蕩生活が過ぎ、2年で離縁されます。

しかし、その後は研究一筋となり、語学力を生かしてオランダ語辞典の完成などに尽力し、美作津山藩の藩医で蘭学者である宇田川家の跡継ぎとなります。玄真が翻訳した西洋の医学書『医範提綱』は、『解体新書』をしのぐ、医学書のベストセラーとなりました。

「和蘭薬鏡」宇田川玄真
宇田川玄真著「和蘭薬鏡」 

「医範提綱」 宇田川玄真
宇田川玄真著「医範提綱」

その中で、現代も使われる、小腸、大腸という訳語を初めて使い、またリンパ腺の「腺」、膵臓の「膵」という漢字(国字と言われる)を作りだしています。

本草学者(漢方医)から出発しながら、官僚(医官)であったり、隠密(スパイ)であったり、蘭学者であったりとそれぞれが、多彩な能力を発揮し、活躍しました。

まさに多士済々、江戸時代、三重に生まれた自然科学分野の偉人として、3人の人物に興味を持っていただけたらと思います。
(川口 朋史 かわぐち・ともふみ/松阪市立歴史民俗資料館)
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宇田川っていうと津山のイメージ(あと大垣ですね)がありましたが、松阪出身の人も関わってたんですね。
この人がいないと「君の膵臓をたべたい」が別タイトルだったかと思うと感慨深いものがあります。

[2021/10/13 22:00] | 未分類 | page top
【伊勢古市】「伊勢のシネマ(銀幕チラシ・ロケ地・小津安二郎の世界)」のご紹介
伊勢古市参宮街道資料館 令和3年度 第21回特別企画展
「伊勢のシネマ(銀幕チラシ・ロケ地・小津安二郎の世界)」

期間 10月5日(火)~10月24日(日)9:00~16:30
(月曜日は休館[祝日の場合は翌日])※最終日は15:00まで

ところ 伊勢古市参宮街道資料館(中之町69)

内容  映画の誕生は、明治28年(1895)フランスのリュミエール兄弟が、スクリーンに映像を映して多くの人々が一度に鑑賞できる「シネマトグラフ」を開発し、同年パリで公開されたのが最初です。日本には2年後の明治30年に大阪で初興行がされその後、全国を巡回し、映画は瞬く間に代表的な娯楽産業へと成長していきました。

伊勢市情報戦略局 文化政策課 城

伊勢での初公開は大阪興行と同年の明治30年、古市の芝居小屋「長盛座」で行われました。これを皮切に映画は歌舞伎などに代わる娯楽として伊勢の町に拡大し、最盛期の昭和30年代には10館以上の映画館が軒を並べました。

今回の企画展では、劇場が発行した銀幕チラシをご紹介する事で映画が人々の娯楽を支えた往時に想いを馳せ、伊勢の歴史文化の奥深さを感じて頂けるものと確信しています。

また風光明媚な伊勢志摩を舞台にした映画に着目し、登場するロケ地を写真やパネル版等で展示し、伊勢志摩の魅力に改めて気づいて頂けるきっかけになれば幸いです。

さらには、現在の宇治山田高校出身で、国際的に高く評価されている映画監督、脚本家の小津安二郎(1903年〜1963年)にスポットを当て、「晩春」、「東京物語」などで親子や家族をテーマに撮り続けたその世界観を、ポスター、パネル版などでご紹介します。

シネマ - コピー
[2021/10/10 22:00] | 未分類 | page top
【亀山歴博】祝!国史跡 鈴鹿関
【亀山歴博】祝!国史跡 鈴鹿関

みなさま、はじめまして。亀山市歴史博物館の中川と申します。

こちらのブログ、私は読み専門でした。当館の小林に感想を述べていたところ、

「そうや、秋の展示、ブログに書いたらええわ~。」

となり、広報活動のチャンスをもらいました。

そのようなわけで、楽しく拝読していたところから、一転、書き手デビューすることになった次第です。

徹頭徹尾、展示の宣伝で恐縮ですが、暖かく読んでいただけるとありがたいです。

さて、今回、ご紹介しますのは、第37回企画展 国史跡指定記念「鈴鹿関-奈良時代の国家戦略-」です。

01第37回企画展ポスター

詳しくはこちらをご覧ください。

鈴鹿関跡は、今年の3月26日に国の史跡に指定されました。亀山市では、昭和56年の正法寺山荘跡指定以来の史跡指定となりました。

さて、この鈴鹿関。何かと申しますと、律令で定められた三関のひとつで、主に奈良時代に実動した交通管理施設・軍事防衛施設です。

02義解5軍防令
令義解巻5(亀山市歴史博物館蔵)

今回の展示では、15年間におよぶ発掘調査・研究の現状と課題をお知らせしています。

もちろん、鈴鹿関跡から出土した資料も展示しています。

03-1重圏文軒丸瓦_sss1
〈市指定文化財〉重圏文軒丸瓦(鈴鹿関跡)
亀山市蔵(まちなみ文化財グループ所管)

03-2軒丸・平瓦_sss1・9
〈市指定文化財〉軒丸瓦・軒平瓦(鈴鹿関跡)
亀山市蔵(まちなみ文化財グループ所管)

なかでも今回史跡に指定された、鈴鹿関の西端に設けられた築地塀をお知らせしたいと思います。

築地塀は土を突き固めた版築の壁の上に、瓦を葺いてつくられています(強度はコンクリート並みといわれています!)。

延喜式に基づいて考えると、その高さ約3.9m。とっても高いのです。

それを体感いただくべく、実寸大の築地塀をつくってみました。

04第37回企画展ターポリンシート
ターポリンシート

といっても、ターポリンシートです。しかしメリットも。

持ち運べます!いつでも、どこでも築地塀が体感できるというわけで、展示の後も、色々な場所で築地塀を広められれば、と思っています。

そのほか、古代の鈴鹿郡のさまざまな施設を検討することから、鈴鹿関の実像に迫る試みも行っています。

なお、担当者として個人的には、律令国家の設けた施設なんだ!ということをお伝えすべく、令義解をプッシュしました。

鈴鹿関といえば、律令!日本書紀!続日本紀!、同時代の史料に登場する日本古代史を代表する遺跡であることをお伝えしたい、という熱い想いを込めました。

というわけで、長々ご紹介してきました企画展「鈴鹿関」。会期は12月12日(日)までです。お楽しみいただけると幸いです。

最後に、内容をチェックし終えた当館の小林からも一言。

学芸員の中川由莉は、亀山市歴史博物館に来て8年目。それまでは20年ほど、奈良時代の仏教政策や入唐求法僧を研究していたとのこと。文献史料解釈と発掘調査成果との相互補完による方法論を駆使しながらも、古代の文献史料に対する熱い思いは一入です。
では、亀山市域にかつて存在していた古代の鈴鹿関とはどんなものだったのかを、どうぞご覧ください。

(中川由莉 なかがわ・ゆり/亀山市歴史博物館)
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中川さん、熱気のこもったブログありがとうございました。この熱気を感じるために皆さんぜひ鈴鹿関の展覧会をお楽しみください。
[2021/10/06 22:00] | 未分類 | page top
【情報解禁】桑名市博物館に刀剣男士 桑名江 のパネル来るってよ!【宣伝である】
こんにちは。桑名市博物館の元職員にして、同館の自称・勝手にこうほう部隊員・K.Mでございます。
さてさて、先ほど市長記者会見が行われ、ようやく情報解禁と相成りました。
刀剣乱舞-ONLINE-の刀剣男士 桑名江のパネルが、当館で重要文化財の桑名江展示期間中、玄関でみなさまをお出迎えします!!

桑名市の公式Twitter

ここまで情報が出なくて「来ないのか…」と思っていた方、「来るの? 来ないの?」と気になっていた方、「いやいや来るでしょ!」と信じていた方、「もはやどっちでも良いから情報早よ!」とじれていらっしゃった方……さまざまだと思いますが、桑名江さん(等身大パネル)来 ま ー す !
当館といたしましては村正2で千子村正のパネルが来て以来ですね。(最終日閉館後、村正さんのパネルとロビーの短刀を一緒に写メったのも良い思い出です。)当時は妙法村正の出品と、村正さんのパネルが出ることを8月下旬の市長記者会見で情報解禁でした。村正2は10月6日始まりだったので、今回よりはお披露目時期が早かったのだったかと思います。

ちなみに、博物館(というか、桑名市というか?)としては本日の市長記者会見をもって情報解禁だったため、ポスターやチラシもこれまで伏せられていたようです。近いうちに当館の1階展示室入口と館の周囲の掲示板(通り沿いや共用駐車場など4カ所)にポスターが貼られ、チラシの配布も始まります。
出品目録をホームページに公開出来るのはもう少しだけ先のようです。「開幕まであまり時間ないし、何が出るか、全貌早く知りたいな!」とやきもきしますけれども…我慢、ガマン。

ただ、これだけは、と思って確認&情報をこちらに書くことのお許しをもぎ取りました。(元職員の職権(?)濫用? 上等です!)
気になっている方も多いと思います。ホームページにはまだ記載されていない(はず)、国宝 中務正宗と重文 塩河来国光の展示期間。
中務正宗は通期、塩河来国光は後期での展示とのこと。
桑名江は前期展示だと知った頃に「後期は後期で良い刀剣出すよー」と聞いていたのですが、どうやら塩河来国光のことだったようです。
ということで、現在分かっている、本多忠勝と桑名展に出る刀剣は
○通期
国宝 中務正宗
短刀 銘 吉光 伝・小松殿所用
○前期
重文 刀 金象嵌銘 義弘本阿(花押)/本多美濃守所持(名物 桑名江)
○後期
重文 塩河来国光
刀 無銘 伝兼光(金象嵌)本多平八郎忠為所持之
ということのようです。(見落としがあったら、申し訳ありません。)(ちなみに、黒糸威胴丸具足は通期のようです。)
出品目録の代わりにはなりませんが、みなさまのご来館計画の参考にしていただけましたら幸いです。

本多忠勝と桑名展開幕まであと18日。水面下では着々と準備が進み、いよいよ佳境に入ろうという頃でしょうか。
今は特別展への期待を胸に、表で開催中の小林研三展(緊急事態宣言の影響で、会期わずか10日足らずとなってしまいましたが)を観て過ごしたいと思います。
[2021/10/05 15:39] | 未分類 | page top
【三重県博】肉といえば 牛肉? 豚肉?
令和3(2021)年4月に三重県総合博物館(MieMu)に着任いたしました館長の守屋です。よろしくお願いいたします。

さて、今回はMieMuとは直接関係はありませんが、食肉消費に関して話題提供したいと思います。

食文化は地域の気候・風土・歴史・文化を色濃く反映しており、人々の行き来が活発になっている現代でもそれぞれの地域には独特の食文化が残っています。その中で、今回は食肉に関する地域差について紹介したいと思います。

関東と関西では肉の消費に違いがあり、関東では豚肉、関西では牛肉が好んで消費されていると一般的に言われています。

たとえば、全国的には「肉まん」と呼ばれているものが、関西では「豚まん」と呼ばれています。

これは関西では肉まんの餡に豚肉を使っていることを強調するためだと思います。

また、「すき焼き」や家庭料理の代表である「肉じゃが」に関東では豚肉を使うことが多いので、関西人が驚いたといった話もあります。

西日本では稲作が主体でイナワラを飼料に利用する牛の飼育が盛んだったのに対して、関東、特に関東ローム層の地域では畑作が主体となり、芋の茎や野菜くずなどを飼料に利用した養豚が盛んだったこともあって、関西と関東で肉の好みに差がある言われています。

この点について、統計資料をもとに分析してみました。

総務省統計局が公開している家計調査データの中から近畿、東海、関東の都府県庁所在地の牛肉、豚肉、鶏肉の年間購入量の世帯平均を取り出して、主成分分析とクラスター分析を行ってみました。

統計処理の詳細については割愛しますが、これらの食肉の購入量パターンの類似度に基づいて、順次似た都市をグループ化しました(図1)。横線でグループをまとめています。横線の値(y軸の値)が小さいほどより似通ったグループを表しています。

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また、表1に各食肉の購入量トップ10の都市を載せましたが、これらの結果から関東では豚肉、関西では牛肉と鶏肉を好んで消費する傾向がうかがえました。
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今回は食肉に関する分析を紹介しましたが、地域ごとに特徴的な食文化が存在しておりその背景を調べると面白い発見が沢山あると思います。

具体的な統計データの解析からも関東では豚肉、関西では牛肉が好んで消費されていることを示すことができました。

今回は食肉に関する分析を紹介しましたが、地域ごとに特徴的な食文化が存在しておりその背景を調べると面白い発見が沢山あると思います。
(守屋和幸 もりや・かずゆき/三重県総合博物館)
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統計分析を使うと様々なことがわかるんですね。551の豚まんを食べたくなりました。
[2021/10/03 22:00] | 未分類 | page top
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