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【三重県博】実物図鑑特集展示「戦争と三重-兵士と銃後-」
令和3(2021)年4月に三重県総合博物館(MieMu)に着任いたしました館長の守屋です。よろしくお願いいたします。

さて、MieMuでは7月24日(土)から8月29日(日)の間、3階の「三重の実物図鑑人文コーナー」にて

実物図鑑特集展示「戦争と三重-兵士と銃後-」

を開催します(観覧無料)。

かぶと
■かぶと

第二次世界大戦が終結してすでに70年以上の時が経ち、多くの人々にとって戦争は教科書や書籍、ドラマなどでしか目にすることのない遠い過去の歴史的な出来事となっています。

私は戦後10年経った昭和31年生まれなので、直接の戦争体験はありませんが、それでも昭和40年代初めのころまでは、家の近くの山際には防空壕、街中にも爆弾池(空襲でできた窪地に水が溜まったもの)が残っていました。

岩国の生まれで広島にも近かったので被爆によりケロイドを負った人たちも多くおり、祭りなどでは人の集まった神社の境内でよく傷痍軍人の方々が白衣を着てアコーデオンなどを奏でていました。

また昭和40年代末ごろまではベトナム戦争が続いていたので、基地の町である岩国には迷彩色を施したB52戦略爆撃機やC130ハーキュリーズ戦略輸送機などがよく飛来していました。

10数年前に亡くなった私の母は昭和20年当時広島女子商業に通っており、8月6日はたまたま学徒動員の休みの日で岩国にいたため原爆から免れました。同級生の半数以上は原爆で亡くなったと聞いています。

あの日、学徒動員が休みでなく広島に行っておれば私はこの世に存在していなかったかもしれません。

今回のMieMuの展示では戦時下における兵士と「銃後」の暮らしを支えた人々に関する館蔵資料の展示を行っています。

たすき
■たすき

わが国では第2次世界大戦終結後平和な状態が続いていますが、世界では現在でも戦争や内戦に苦しんでいる多くの人々がいます。

この展示が、当時の様子や暮らしがどのようなものであったかを振り返り、戦争の悲惨さや平和の尊さについて考える機会となれば幸甚です。
(守屋 和幸 もりや・かずゆき/三重県総合博物館)
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新任の守屋館長から特集展示のご案内をいただきました。この夏、こうした展示を通じて改めて戦争について思いを寄せていただきたいと思います。
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[2021/07/25 22:00] | 未分類 | page top
【亀山歴博】標高8千メートル級の山は世界中ていくつある?
今回担当していますのは、毎夏恒例 亀博自由研究のひろば「亀山の山々が生んだ世界的登山家 尾崎隆」というタイトルの展示です。

歴博自由研究ちらし表面

ほとんど知らないことから、尾崎家の皆様から了解を得て、大量に残されたもの調書をすることから始まりました。

展示準備を通じて、初めて知る内容に出会うことの楽しさを改めて体験しました。

その一つが、「標高8千メートル級の山は世界中ていくつある?」の答でした。

また、「8千メートル級の山の名前は何?」、亀山7座トレイルの7つの山の名は知っていましたが、「山の名前…」これについても初めて知りました。「8千メートル級の山はどこにある?」ますます、はじめて知りました。もちろん尾崎隆さんがどんな山に登ったかや、尾崎ファミリーが体験した冒険についても初めて知りました。

初めてづくしの資料内容の調査は、大変なことと同時に、わくわく感もたくさん

残された資料の調査はまだ全部終わってませんので、まだまだ続きますが、そんな中での展示準備も体験。

尾崎隆さんを通じて、尾崎隆さんを知り、また山の地理を初めて知る機会を得ています。

展示の会期は、9月5日(日)まで。どうぞお楽しみ下さい。
(小林秀樹 こばやし・ひでき/亀山市歴史博物館)
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今年の山の日は8月8日です!ただこの時期の鈴鹿はヤマヒルがねぇ…。皆さま御出掛の際は十分に注意して楽しんできてくださね。桑名だと多度山がおすすめですよ!標高400mちょい、健脚コースからなら無理ないペースで登れば1時間くらいで頂上まで登れます。帰りは近くにある温泉で疲れを癒して、多度大社の宝刀を紹介している桑名市博物館にもお立ち寄りいただければ嬉しいです。(展覧会は7月21日から)便乗して宣伝でした!
[2021/07/18 22:00] | 未分類 | page top
【四日市博】収集癖・その2「デザイン・バーコード」
「じゃがりこ」というお菓子をご存じだろうか? おそらく食べたことのない方でも、スーパーやコンビニで見たことがあるはず。 そこで、このお菓子のパッケージの「バーコード」に注目していただきたい。

じゃがりこ1

バーコードは、太さの異なった線とその間隔で数字や文字などを表し、商品個々の情報(国番号・メーカー番号・商品番号・価格など)を構成しており、すべての商品に異なった番号が付されるシステムになっている。 1949年にアメリカで発明され、1967年実用化、そして日本では1978年頃から使われるようになった。

じやがりこ2

太細の線が並んでいるだけで、面白くも何ともないのだが、そのバーコードを初めてデザイン化し、楽しく遊んで見せたのが2003年のサントリー「燃焼系アミノ式」と、04年の「健康系カテキン式」という飲み物であった。とんでもない運動少女やサラリーマンと、♪燃焼系~燃焼系~というCMでお馴染みの商品である。

じゃがりこ3

以来、いくつかの商品に付けられたが、中でもカルビーの「じゃがりこ」は、これまでに何十種類もの異なる味の商品が売出されているのだが、イメージ・キャラのキリンが、その味ごとに違うバーコード・デザインの中でCMしている。

無味乾燥なバーコードに、多種類の味のデザインというスパイスを付けただけで、非常に面白いものに変身するのだ。

蛇足ながら、このデザイン・バーコードには、味ごとにダサいと言われそうな親父ギャグが付いている。

会社内で新商品(新しい味)の企画会議をする度に、社員たちが真剣になって、どのギャグを採用するのか、さぞかし激論を戦わしているのだろうなあ。

人間て本当にくだらない、そして面白い。

私はそんな人間が大好きだ。 

さらにこのバーコードは、より情報の多いQRコードに取って代わられ、やがて無くなってしまうとも言われる。

そうなった時、私の「デザイン・バーコード」コレクションの価値は文化財級に跳ね上がるに違いない。楽しみだねえ。
じやがりこ4

(吉田俊英 よしだ・としひで/四日市市立博物館)
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確かに文化財にまであと一歩ですね。まさにバーコード・リーチ。
[2021/07/11 22:00] | 未分類 | page top
【三博協】ミュージアムの中の人の履歴書 吉田俊英さん(四日市市立博物館)
-お生まれはどちらですか?

仙台生まれ。だけど父が転勤族だったので、小学校が三つ、中学校が二つ変わりました。
だから友達になるのが若干苦手で人見知りになりましたね。一人でも平気というか…。その分知らないところに馴染むの早いと思いますけど。

-ずっと転勤されてたんですか?

高校はおばあちゃんところに預けられてそこから通いました。仙台一高です。両親は転勤族なので色々廻ってて、さすがに高校は転向が大変ですので。高校の時はラグビーです。最近また人気出てきましたね。

ラグビー部(高校生)
ラグビー部時代の吉田さん(前列中央)

そこから一浪して東北大学文学部の美術史学科へ進学しました。

-美術史を志望してたんですか?

いえいえ全然。社会学とか心理学が人気で、そっち行きたかったけど早いもの順で定員が埋まっちゃってて。それで残ってた美術史になったの。

-学芸員や教員を目指されていたわけではないのですね?


そうそう。映画監督になりたかったの。演劇が好きだったからね。早稲田の演劇学科も受験したくらいだから。あ、ダメだったんだけどね。あの時は東大が入試中止だったから。

-安田講堂の時ですか。


だから多分優秀層が早稲田に来たんだよ。だからダメだった(笑)なんて。それが理由じゃないだろうけど。
大学では昼間は映画見に行ったりジャズ喫茶にたむろしたりしてましたね。学生運動の時だから大学も封鎖されてたし。
結果4年で卒業出来ず留年しましたから。留学もしてないのに(笑)

-国分町〔仙台の繁華街〕に留学してたんですね(笑)

そうそう(笑) 僕国分町でボーイをやっていたしね。
そして卒業して、やっぱり映画会社に憧れてたから日活受けたんですよ。あの時はロマンポルノがあってね。
そして最終面接まで行ったんです。

-え、それは凄いですね。

するとね、「君はテレビ向きじゃないか」と言われたんでテレビ局を受けたらね、「あんたはテレビとは違う。映画向きだな」と言われて結局体よく両方断られたんです。

-就職活動のやり直しですね。ちなみに卒論は何をされたんですか?

卒論はね、戯画。日本の戯画ね。日本画ってほら戯画的な要素あるでしょ、ああいうのをやりたくて。
消極的な理由で選んだ美術史学科だけれども楽しかったんですよ。就職は自分の持ってた学芸員の資格を活かしたかったし、会社員もちょっと・・・という感じで考えてました。
すると先輩が「名古屋の方で博物館ができるので受けてみろ」と半分命令みたいな感じで。恩師の辻(惟雄)先生にも言われちゃったし。辻先生も名古屋にご縁がおありだったので。

-辻先生の母方は確か桑名藩医のお血筋ですもんね。

そう、だからこっちにご縁があるんです。なので色々とご配慮いただいたと思うんですが、まぁ受けたら受かっちゃった。
名古屋市の博物館の準備室に入るわけです。準備室で2年、その後5年間。計7年名古屋市博にいたんです。

就職して一年目(名市博準備室)
就職一年目(名古屋市博準備室時代)。たばこは32歳で止めたとのこと。

すると今度は美術館作るから「美術館を作りに行け」と言われて、その頃は神谷(浩)くん入って来てたから日本美術は彼に御願いして、新しい所では現代美術なのでちょっと面白そうだな、と。

-二つ目の準備室ですか、なかなか大変ですね。

ゼロからですからね。学芸は僕一人で課長と係長つけてやるから何とかしろって言われて。黒川紀章先生とも色々話し合いましたね。ちょうど三重県美や岐阜県美が直前に開館するころで、色々教えてもらいました。結局5年間かかってオープンしてそこから13年ぐらいいました。合計18年ですね。
そのあたりで大体2000年ですか、世紀の変わり目だしまあちょっと長いし、というタイミングで奈良県美からお誘いがあったんです。

-ヘッドハンティングですね。

うん、いくつか話はあったんだけど、やっぱり奈良・京都は憧れなのよ(笑) だから行ってみたいなと思って決心したんですが、結婚していたので単身ですね。奈良には8年いました。59歳になったのでこれもまた節目と思い戻ってくることにしたんです。一人の生活は寂しいですしね(笑)

-そこから豊田市美ですか。

辞めるタイミングで、それだったらこっちきてよ、という形で豊田市美の館長に就任しました。そこで6年やって、館がリニューアルの長期改修に入るタイミングで村田(眞宏)くんが愛知県美を辞めたので後をお願いして。
豊田では現代美術もずいぶんやってきましたけど、まぁここらが潮目かなというのもありましたし。若い人に引き継いでやってもらいたいという気持ちが強かったですしね。

豊田市美退任
豊田市美術館館長退任時

-ようやく肩の荷がおりるわけですね。

うん。2015・2016は何もしてない。まぁ大学講師とかはやってたけど。そんで2017年に名古屋ボストンが閉めちゃうんだけどそこ手伝ってくれない?と言われて。頼まれるとお調子もんだからやっちゃうんだよね(笑) まぁ学芸員さんは次の職場決めなきゃいけないし、かといって誰もいなくなったら困るしってんで手伝ったの。

-そしてようやく三重県との関わりですね。

名古屋ボストンの途中からかな、名古屋ボストンが2018年10月に閉めちゃうので、その前くらいから四日市の館長が空席だから来てくれと。そして今年が2021年なので4年目ですね。

-すごく色々な地域や館を移られてますが、なかなか稀有なキャリアですよね。

そうだね、ほんとご縁というか。あとは地域性の違い、日本文化の多様性というのを感じられたのも良かったです。
自分で決めてるようでいてすごいみんなに助けられてそれに乗っかってきたと言う感じだね。
前半がテレビ会社とか映画とかチャンスがなかったのに、後で付き合う人がみんな縁を紡いでくれるというか、ほんと幸せだな、って思いますね。

-そのあたりは吉田さんの人徳だと思います。

いえいえ、そんなことは。そんな事言われるとほら、お調子もんだから喜んじゃう(笑)

-ご趣味はさまざまなコレクションですよね、ブログでも紹介いただいてますが。

これは好きとしか言いようがないなー。集めたくなっちゃうんだよね。高いものは集めてないけれど。同じものだけど細部はどう違うんだろうとか、並べてみると違いが分かるというか。形態分類やっちゃうんだよね。美術史の基礎だからかな~。

-お若い頃は映画監督に憧れていらっしゃいましたが、展覧会の担当もいわば映画監督のようなところがありませんか?

うん!そうそう。それはそう思うね。
担当者ってのは作品、すなわち俳優を選んで演技つけたりするのはキャスティングとかに似てるよねー。
だから映画やってるとこ一緒じゃないかな、と思うし自分がそういうの好きだから展覧会とかも楽しんでやってる。
うちはプラネタリウムと博物館と環境未来館とミュージアムスタジオが三つあるようなもんだから。それはそれで面白いもん。

-小津組と黒澤組みたいなもんですか

そうだね(笑) カラーが違う。だからこそコラボすると面白いし、そういうのが重要になるんじゃないかな。

-最後に恒例、パートナーの方ですが…。

本当に聞くんだね(笑) 知り合ったきっかけですか?名古屋市博物館時代の同僚の紹介です。
妻と美術館?行きますね。すると面白い質問してくるので、そうした反応を見て。一般の人の感覚を見てますね。
ただ昔は一般の人のレベルだったんですけどだんだん詳しくなってきました。でもほんといつも迷惑かけてますのでありがたいと思っています。

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吉田さんのお話をもとに構成していますが文責はすべて筆者(杉本竜/桑名市博物館)にあります。
[2021/07/04 22:00] | 中の人の履歴書 | page top
【桑名市博】サロン講座ふたたび!
こんにちは。桑名市博物館元職員のK.Mでございます。
広報くわな7月号がお手元に届いていて既にご存知だった方もいらっしゃると思いますが、この夏、サロン講座、復活いたします!!

20210701
(画像は広報くわな7月号の該当箇所)
博物館のホームページの方に詳しい情報が出ています。

サロン講座のお申し込みは週明け、7月5日からです。ご都合がよろしければ、気になる講座にぜひご参加ください。
(サロン講座は有料(資料代等)ですけれども。)

以上、取り急ぎサロン講座の告知でした。
[2021/07/01 13:03] | 未分類 | コメント(0) | page top
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