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【三重県博】「やっぱり石が好き!三重の岩石鉱物」
三重県総合博物館では、4月24日(土)から8月29日(日)までの期間、

第28回企画展
「やっぱり石が好き!三重の岩石鉱物」
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を開催しています。

三重県内にみられる石は、約3億年の時の流れの中で繰り広げられてきたプレートの沈み込み、マグマの発生、火山の爆発、断層活動などの地質イベントに関わってできたものです。今回は、そんな地面の世界に目を向けて、三重県産の岩石や鉱物などを一堂に展示し、その魅力をお伝えします。

当館では初の本格的な岩石鉱物展であり、展示資料数約650点という規模です。

まず、プロローグで三重県の地質の特徴と、それがどのようにして作られてきたかを概観します。以下 展示は4章に分かれています。

・第1章 形と色の多様性 ―三重県の鉱物―
世界で認められている鉱物の種類は約5700種で、そのうち日本では約1500種、三重県では約260種が報告されています。ここでは三重県で産する鉱物を紹介します。

・第2章 大地の成り立ちを探る ―三重県の岩石―
三重県の大地に岩石がどのように分布しているかを、火成岩、堆積岩、変成岩と種類ごとに紹介します。

・第3章 石とともに生きる
石器などの道具や装身具、祭祀や信仰に用いられた石棒や石塔など、人々のくらしを支えてきた石製品の数々を、考古資料を中心に紹介します。

・第4章 石とわたしたち
石炭や粘土、みがき砂など、生活の中で資源として利用している例を紹介するとともに、一方で脅威となる災害への備えについても考えます。

このうち、第3章は人文系資料の展示で、資料数はそれほどではありませんが、総合博物館という、我が館の特色を少しでも感じていただけたらと思います。

また、期間中は講演会やギャラリートーク、関連イベント等を開催しますので、是非ともご参加いただきますようお願いします。

という、今回はひねり無しのバリバリ宣伝でした…。
(瀧川和也/三重県総合博物館)
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色々な石が一度に見られるチャンスですね。
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[2021/04/25 22:00] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
能ある鷹は文化を残すー松平定信の文化史ー@桑名市博物館
こんばんは。桑名市博物館の元職員・K.Mです。
連日のように県内の新型コロナの感染者数が過去最多と報道され、週明けからは飲食店に営業時間の短縮要請が出されるのだとか。
さて、そのような折ではございますが、当館では本日より初夏の企画展が始まりました。「能ある鷹は文化を残すー松平定信の文化史ー」「越川の文化交流ー長島藩主増山雪斎と桑名ー」「刀剣コレクションⅠ」の3本立てです。5月30日までの予定ではございますが、新型コロナウイルスの感染状況次第で臨時休館となるおそれもございます。ご来館の前に、よろしければ桑名市のホームページ等で最新の情報をご確認ください。
また、桑名市の方針として、現在、県外にお住まいの方にはイベントへの参加を避けていただくようお願いしているところでございます。(桑名市のイベント開催基準等はこちらでご確認ください。4月24日現在、「4月20日付」(5月5日まで適用)の基準が公開されています。)
感染状況が1日も早く落ち着いて、お店や舞台などの営業短縮だの休止だのの要請が取り下げられますように。



何はともあれ、当館で開催中の展覧会を少しだけご紹介いたします。



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[2021/04/25 00:19] | 未分類 | page top
【鳥羽水】鳥羽水族館の企画展ウラ話
本日は鳥羽水族館の企画展のウラ話をひとつ。

当館には「イベント委員会」という組織があります。
各部署から選出された委員が毎週日曜日に集まり、イベントや企画展の構想を練ったり運営担当者を決めたりするのです。

一番の大仕事は、次の企画展では「どんなことをやるか?」という部分、言い換えればテーマです。

乱暴な言い方ですが、これさえ決まれば後は何とかなるのです。
 
今春の企画展の構想もいつものように数カ月前から準備が始められていました。

いつものように委員らが考えて来た内容を持ち寄るのですが、どう言うわけかいつも秀逸なアイディアを出してくれるのがきまってNさんなのです。

ある日、私がその秘密を彼に聞いて見ると思わぬ答えが返ってきたのでした。

じつは彼の強力な秘密兵器がなんと自分の子供達だったのです。

Nさんは企画展のアイディアに困ったときは決まって子供たちに問いかけるそうです。

今回のテーマもそんな子供たちの“一言”によって生まれた企画展の一つだったのです。

純粋な子供たちの感性は、凝り固まった我々の脳みそをはるかにしのぐ素晴らしい宝物だったのですね。 

皆さんもアイディアに困った時は、一度身近にいる子供たちに助けを求めてみてはどうでしょうか?
 
ということで、鳥羽水族館では現在春の企画展「にゅるにゅるトゲトゲ生物の謎」を5月9日まで開催中です。詳細はぜひこちらをご覧ください。

企画展全景です
企画展全景です。

チンアナゴ
お馴染みチンアナゴ。

イガグリガニ
イガグリガニです。

(若井嘉人/鳥羽水族館)
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確かに専門に凝り固まった頭には、子どもたちの純粋な感性が色々刺激になるかも知れませんね。企画展の良いヒントになるのではないでしょうか。
ぜひCOVID-19の感染拡大防止にご留意の上、鳥羽水族館をお楽しみください。
[2021/04/18 22:00] | 未分類 | page top
【斎宮歴博】斎宮周辺の道
斎宮歴史博物館の周辺には、都や全国各地から神宮向かう参詣ルートとして、昔からいくつかの道が通っています。

〇参宮街道(県道428号 伊勢小俣松阪線)

江戸時代の伊勢参宮のメインストリートの伊勢街道は、十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」に登場する弥次郎兵衛・喜多八のコンビも通った街道です。

江戸時代の伊勢参宮ブーム、おかげ参りの年には全国から多くの参宮客がこの道を行き来しました。宝永2年(1705年)には、362万人を超える人が伊勢参宮に訪れ、更に明和8年(1771年)には200万人、

文政13年(1830年)には500万人

もの人が、この道を歩いて伊勢を訪れたそうです。

名古屋からでも片道3日、大阪から5日、江戸からは2週間ほどかけて、徒歩でお伊勢さんにやってくるという昔の人のパワーは底知れないものがあります。

さらには、伊勢参宮の後に熊野古道を通って熊野三山を詣でる人、弥次喜多コンビのように京大坂まで足を延ばして見物する人など、現代を生きる我々からは想像を絶する旅をする人もいて、何か月もの旅の道中記等を残しています。

三重県が生んだ俳聖、松尾芭蕉も「奥の細道」では、約600里(2,400km)の道のりを、元禄2年(1689年)3月27日から8月20日過ぎまで約150日をかけて、弟子の河合曾良と歩いて旅をしています。

現在の斎宮周辺の伊勢街道を歩くと、新しい家屋の中にも、古い民家や昔の街並みの名残が見えてきます。弥次さん喜多さんも、まさにここを通って伊勢に向かいました。街道沿いには参宮客への土産物の店なども多くあったことから、家々には、「〇〇屋」などの屋号が残っているそうです。

写真①

「東海道中膝栗毛」には、弥次さん喜多さんが「明星」(明和町)の茶屋で一服し、そこで出会った京の男と古市まで道連れに旅を続ける話がでてきます。

物語の会話のシーンには、「世古の松阪屋」で食事、宿泊は「妙見町の藤屋」妓楼の「古市の千束屋」という当時実在した店の名前が出てきます。今も続く「麻吉」の名も登場します。

なお、伊勢地域で「○○世古」は「路地」のこと、京都でいう「○○小路」のことです。

〇古代伊勢道
史跡斎宮跡の中には、復元された古代の道が通っています。
都から離れた斎宮付近にも、このような広い道幅(約9m)の立派な道を造った中央政権の強大な力とともに、遠い昔から伊勢の地が重んじられていたことがわかります。

古代の斎王は都からこの道を通って斎宮に来られ、神宮に進まれたのでしょうか。
写真②

皆さんも復元された古代の道を歩かれて、しばし飛鳥・奈良の時代へとタイムスリップをされてはいかがでしょう。
春には菜の花も咲いています。
写真③

〇県道37号線(鳥羽松坂線、旧国道23号線)
このほか、参宮街道の南を通る旧国道23号線(県道鳥羽松坂線)は、地域の人々の生活を支える大切な道です。有料道路だった時代もあったそうです。

毎年11月に開催される三大学生駅伝の一つである「全日本大学駅伝」のコースとして、全国の駅伝ファンにもお馴染みの道です。

全国から選ばれた大学生が、熱田神宮西門前から伊勢神宮内宮宇治橋前まで、この道を走って襷をつなぎます。この地域は8区、アンカー区間です。

現在の国道23号線(南勢バイパス)の4車線化や伊勢自動車道の整備が完了していなかった昭和の終わり頃には、鳥羽水族館のラッコブーム等もあって、伊勢、鳥羽方面への観光客の行き帰りの車が多く、特に週末は、伊勢への道はどの道も渋滞していたのを思い出します。 

お住まいの地域の道の歴史を探ってみるのも、興味深いものだと思います。
また、斎宮周辺の道に関しては、明和町ホームページ、斎宮歴史博物館ホームページ等をご参照ください

〇今年も桜が咲きました。
この日(3月24日)歩いていると、まさに今が花盛りの木を見かけました。
写真④

(上村一弥/斎宮歴史博物館)
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上村さんは令和2年3月末で斎宮歴博の館長を退任されました。季節感溢れる内容のコラムから、上村さんの人柄がうかがわれます。お疲れさまでした。
[2021/04/11 22:00] | 未分類 | page top
『三重県史研究』第36号のことなど。
こんばんは。桑名市博物館の元職員、K.Mでございます。
気づけば花は盛りを過ぎ、斎宮歴史博物館さんの斎王ゆかりの古典文学(再)、石水博物館さんの天神さまと梅、当館の新収蔵品展も今週末で閉幕!
なんてこと!
新型コロナの感染者数がまた増えてきていますが、気をつけるべきことに気をつけて、展覧会は展覧会として、ぜひお楽しみください。

そう言えば、当館から歩いていけるくらいのところにくりまろさんがお店をオープンなさったそうです。
この時ご一緒だった方ですね。)
かわいらしいお店のようですよ。


という宣伝をしつつ、本日は更に宣伝を。

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[2021/04/09 23:37] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
【松阪歴民】映画監督小津安二郎と国学者本居宣長をつなぐ?!
この4月3日より、松阪市立歴史民俗資料館の2階に世界的にも評価の高い映画監督小津安二郎の記念館が

「小津安二郎松阪記念館」

として開館しました。
小津安二郎

この民俗資料館は、明治45年(1912)に、松坂城跡内に飯南郡図書館として建てられ、現在も当時の外観を残し、国の登録有形文化財になっています。

歴民イラスト

さて、小津安二郎ですが、大正2年(1913)、9歳から約10年間、父の故郷である松阪で過ごし、日記にも「図書館で昼寝をした。」と書くなど、幾度も飯南郡図書館に通っていたこともあり、小津安二郎の関係資料を常設することになりました。

これで、松坂城跡内には、『古事記伝』を著した江戸時代の国学者本居宣長と、映画監督小津安二郎の記念館ができました。

語弊を恐れずに言えば、宣長と安二郎の二人は、活躍した時代も分野も異なりますが、その時代にその分野で傑出した人物ということでは、松阪の誇る文化人の二大巨頭であると思っています。

前置きが長くなりましたが、本居宣長から小津安二郎につながるまで、少々長くなります。この後、たくさんの「小津」が出てきますが、迷わないようについてきてください。
 
本居宣長は、享保15年(1730)、本居姓ではなく、江戸店持ちの松阪商人の小津家に生まれています。しかし、早くに家業の商家を閉めて、父方の姓の本居姓を名乗り、医者を生業として国学研究の道を歩みます。後年、松阪では「小津党」と言われるほど多くの小津家が生まれますが、この宣長の小津家こそが、角の小津家(油屋源右衛門)と言われる小津家の始祖につながります。

本居宣長61歳自画自賛像(像)
《本居宣長61歳自画自賛像》本居宣長記念館蔵

さて、時代は、江戸時代初期(1600年代中頃)までさかのぼります。当時、江戸に木綿店を開いていた宣長の曾祖父小津三郎右衛門から始まります。そこで、三郎右衛門は、別の店で奉公人をしていた松坂生まれの長弘という人物(後の小津清左衛門)の商才と人柄を見込み、200両の資金を援助するとともに小津屋の屋号の使用を許可します。長弘は、その資金を元手に大伝馬町の紙店を買い取り、後に小津清左衛門として江戸一番の紙店となり、三井家などとともに屈指の江戸店持ちの松阪商人となります。

この清左衛門長弘の二代後の長康の時、支配人になった奉公人の保教(後の小津新兵衛)は、清左衛門長康より仕分金500両と「別家」として相談役の立場になり小津姓を許されます。そして、江戸北新堀の干鰯問屋 湯浅屋に出資、小津新兵衛(後に与右衛門家とも)を名乗り、江戸店持ちの松阪商人となります。その後、新兵衛保教は、分家として小津新七家を創設し、本家とともに湯浅屋の経営にあたらせます。そして、分家の新七家は、代々湯浅屋の江戸店の支配人を努めることとなります。

この小津新七家の6代目が、安二郎の父寅之助になります。湯浅屋では、本家(新兵衛家)の主は、松阪に住みましたが、新七家の主は支配人として江戸に居住することが多く、安二郎は寅之助の二男として、明治36年(1903)に東京深川に生まれます。
ようやく安二郎まで来ました。皆さんいかがですか、宣長の小津家から小津清左衛門家、そして小津新兵衛家(与右衛門家)、最後に小津新七家と数百年の時を経て、宣長と安二郎を小津という姓を通じて、つなげることができました。

また、宣長と安二郎の共通するのは、いずれも松阪商人の家に生まれ、状況は違えども二人とも商人の道を選ばなかったことです。また、宣長がその著書、『玉勝間』で、「富る家おほく、江戸に店といふ物をかまへおきて、~中略~あるじは、国にのみ居てあそびをり」と評し、その様子を「すべておさおさ京におとれることなし」と書いたように、松阪商人の中には、豊かな経済力を背景に、文化的にも高い素養を持つ文化人も多く生まれています。宣長、安二郎の二人とも、松阪商人の文化人としての遺伝子を、十二分に受け継いでいたということが言えるのではないでしょうか。

みなさま、ご清読?ありがとうございました。

最後にぜひ、松阪市立歴史民俗資料館(2階 小津安二郎記念館)と本居宣長記念館にお越しください。また、この話の中で出てくる小津清左衛門の旧宅も公開されています。

(川口朋史/松阪市立歴史民俗資料館)
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気候も良いので、ぜひ松阪ぶらり旅、楽しんでみてくださいね!森見登美彦さんの『四畳半神話大系』にも「小津」なるキャラクターが登場しますが、彼もルーツが松阪商人だったのでしょうか。。。と想像すると楽しいですね。
[2021/04/04 22:00] | 未分類 | page top
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