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【斎宮歴博】斎宮跡の春の気配
寒の内にしては穏やかな天気の日に、少し早い春の気配を探しに斎宮歴史博物館の周辺を歩いてみました。

辺りはまだまだ冬の色合いですが、ところどころに色彩を見つけました。

○紅梅の花
斎宮歴史博物館の裏手(西側)にある梅林では、紅梅の花が咲いていました。
「東風吹かば・・・」ではありませんが、北風が吹く日々の中でも、梅はしっかりと季節を先取りして暖かな色の花をつけています。

梅といえば元号「令和」の出典になった万葉集の梅花の宴

「時に、初春の令月にして気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。」

を思い出す人もいるかもしれません。

新しい時代の幕開けとして、明るい希望を抱いて始まった「令和」ももう3年目です。

万葉集の中には、梅を詠んだ歌が120首程も載せられているそうで、梅花の宴では、山上憶良も春を告げる花として梅を詠んでいます。

春されば まづ咲くやどの 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ(山上憶良 巻5-818)

万葉集に登場する凛と咲く白梅に始まり、日本人は遠い昔から梅の花に来たる春を見て、その佇まいと馥郁たる香りを愛でたのでしょう。

【写真①】
saiku0131 (1)

○椿の花
当館の周りには椿の木もたくさんあります。各々の木が赤い色の花を咲かせていました。

椿もまた、万葉集に登場する、古くから人々が心を寄せる花だそうです。

巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を(坂門人足 巻1-54)
河上の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢の春野は(春日蔵首老 巻1-56)

寒風の吹く中でも、日陰でも咲いている赤い花は、木偏に春と書く字の如く、辺りにほんのりと暖かさを感じさせてくれます。

椿は、同じく常緑樹である榊、松、椎などと共に、日本人にとって神聖な木の一つだったそうです。

【写真②】 
saiku0131 (2)

【写真③】
saiku0131 (3)

○秋の名残
去年の秋の名残の「どんぐり」が今もたくさん落ちていました。
その季節には、子どもたちが嬉しそうに拾う姿も見かけます。
愛らしい姿で地面に転がっているのを見つけると、なぜか拾いたくなります。

【写真④】
saiku0131 (4)

東西2km、南北700mに及ぶ広大な国史跡斎宮跡では、四季を通じてあちらこちらで花が咲き、季節に応じた彩が見られます。

これから春には、菜の花、桜が、その後は、花菖蒲、コスモス、フジバカマ、イチョウ、山茶花など、万葉集に登場する植物も含めて、さまざまな植物が史跡を彩ります。

万葉集のつながりで少しPRをさせていただくと、当館では近年、万葉の歌人でもある「大来皇女」が斎王であった頃、飛鳥時代の斎宮跡の発掘調査を進めています。毎年、新しい発掘成果が出て、解明が進みつつありますのでご期待ください。

また、今年の4月から6月に開催予定の春の企画展では、「絵画に見る万葉の世界~びじゅある万葉集~」と題して、連携館である奈良県立万葉文化館が所蔵する万葉日本画をお借りし、初期万葉の歌人たちの歌をテーマにした展示を予定しています。

ぜひご覧いただければと思います。

世界は今、コロナ禍の真っただ中ですが、自然は関係なく営みを続け、季節は移ろいます。
早くコロナ禍が収まり、年年歳歳似た花が咲くように、ごく普通の穏やかな日常が再び訪れるように願うところです。
(斎宮歴史博物館館長 上村一弥)
*****
斎宮の上村さんより心あたたまるコラムをお寄せいただきました。そろそろ春の足音が聞こえてきそうな様子ですね。
コロナ禍の中で、植物や自然に元気をもらえたような気が致します。
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[2021/01/31 10:00] | 未分類 | page top
【松阪歴民】寒いときには寒い話を!「大寒」!!
『寒』という字は何個出てくるでしょうか?

さて、寒い日が続いています。今年はラニーニャ現象とやらで、暖冬ではなくいつも(・・・)(普通)の冬という感じです。

今は、1年の内で最も寒い「二十四節気」の終わりの「大寒」で、1月20日から2月2日までの期間をいいます。

【御在所岳の氷瀑】
御在所岳の氷瀑


翌3日は二十四節気の始まりの「立春」となります。例年だと2月3日までで、翌4日が「立春」です。

今年のようになるのは、暦の関係で124年ぶりのことだそうです。(そうそう、毎年、豆まきをする人、恵方巻を食べる人、節分の日(今年は2日)を間違ってはいけませんよ!)

二十四節気とは元々、古代中国から伝わり、太陰太陽暦(旧暦)の日本では、季節を表すのに使われていました。

現在の日本では、江戸時代、天明7年(1787)に太玄斎の著した『こよみ便覧』によっています。
そこには、大寒のことは「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」とあります。現代では、国立天文台が「冷気が極り、最も寒さがつのる」と表現しています。何はともあれ、1年の内で最も寒さが厳しく、全国各地でその年の最低気温が、多く観測されるのがこの頃です。

そこで、三重県津市の記録を調べてみました。

すると、観測史上1日の最低気温の最も低い記録は、実に明治37年(1904)1月27日の-7.8℃

1日の最高気温の最も低い記録は、明治33年(1900)1月26日の-1.2℃が記録となっています。

何と何と、津市でも1日中、0℃以下の真冬日があったのです。余りにも古い記録なのでここ10年を見てみると、それぞれ平成23年(2011)年1月16日の-3.0℃と平成24年(2012)2月2日の3.2℃となっています。(う~ん!やはり地球温暖化は進行している!!!)

【白銀の鎌ヶ岳】
白銀の釜ヶ岳


私は、寒い夜に布団に入って、北西風がビュービュー吹く音が聞こえるといつも思うことがあります。

『江戸時代や明治時代に生まれなくてよかったぁ~。』

地球温暖化で温かい冬で、暖かい毛布や羽毛布団があっても寒いのに、今より寒い冬で、今のような暖かい毛布や羽毛布団もないのは、いくら昔の民具で見る火(ひ)鉢(ばち)や炬(こ)燵(たつ)、行(あん)火(か)、湯湯婆(ゆたんぽ)があっても私には耐えられそうにありません。

さて、少し話が横道にそれましたが、「二十四節気」をさらに細かく分けた「七十二候」という季節の表し方があります。

「大寒」は、初候「款冬華」(ふきのはなさく)、次候「水沢腹堅」(さわみずこおりつめる)、末候「鶏始乳」(にわとりはじめてとやにつく)と3つに分けられています。

ここで、最初に書いた「大寒」の次は「立春」を思い出してください。

「最も寒いその次は、もう春か?うんっ!」と思った人はいませんか。

しかし、それで理にかなっています。最も寒いということは、もうそれ以上寒くならないということなので、後は今より暖かくなるしかないのです。「大寒」の中の「七十二候」もすでに「ふきのとうが蕾を出す」「鶏が卵を産み始める」と動植物が活動を始める様子が表現されています。

ふきのとう


寒い中にも春の息吹が感じられるということですね。最後に少しだけ暖かくなりましたか。
(答えは20個でした。)(松阪市立歴史民俗資料館 川口朋史)
*****
川口さんより心が温かくなるようなコラムをいただきました。寒い日が続きますが皆さまもどうぞ暖かくしてお過ごしください。
[2021/01/24 10:00] | 未分類 | page top
【三重県博】化石を通じて交流学習
■みえむは県の人づくり、地域づくりを手伝うぞ~!?

三重県総合博物館のルーツは、昭和28年に設立された三重県立博物館です。
2014年、「みえむ」という愛称でリニューアルオープンしたとき、県の人づくり、地域づくりのお手伝いが、重要なミッションとなりました。お手伝いすると書いた以上、なにか具体的なアクションをしないといけません。

その取り組みの一つがここでお話しする化石学習です。

■美里で化石学習をするぞ~!

津市の西部、布引山脈の麓には、今から約1600万年前の海に堆積した地層が分布していて、そこから沢山の化石が見つかることで全国的に有名です。しかし、子ども達がけがをしてはいけないとか、様々な制約もあってか、津市ではこれを生かした学習はされていませんでした。

私は5年前に、三重県総合博物館に赴任しました。京都の南東、宇治田原町にも、同じ時代の地層が分布していますが、ねこの額ほどの面積しかありません。それでも細々と化石学習が続いています。

津にはそこかしこに地層と化石が分布しているのに、なんとももったいないことです。

そんな気持ちを抱いていたとき、化石学習のお手伝いをしていた宇治田原町立田原小学校の校長先生から、6年生の子ども達をつれて、みえむを見学したいとの申し出をいただきました。2018年のことです。

■意外なつながりが後押し

この事を耳にした文化協会代表の辻本當氏から、それならせっかくだから、同じ化石のでる津市のみさとの丘学園の6年生と交流をしてはどうかとの提案がありました。

2017年、みえむでは、津文化協会、半泥子と千歳山の文化遺産を継承する会と協力して、交流展「よみがえる半泥子の千歳山荘展」を開催しました。大正・昭和期、茶陶の美の世界に大きな変革をもたらした川喜田半泥子が大正時代に津の郊外、千歳山に建てた千歳山山荘、現在は解体保存されていますが、その復元・再建運動の一環の展示でした。

その先頭に立っておられる一人が津文化協会の辻本當氏でした。

辻本氏が根回しをしてくださり、11月17日には、津市教育委員会のスタッフも交えてみさとの丘学園を訪問し、提案したところ、快諾していただき、実施へ向けて動き始めました。担任の大西健充先生が「理科の観点だけでなく、京都の児童とふれあうことで、子ども達の視野も広がる」とおっしゃったのが印象的でした。

■いよいよ決行

さて、いよいよ11月30日、決行の日が来ました。化石がよく観察できる県の天然記念物貝石山の露頭で田原小とみさとの丘学園の6年生達が合流、化石の入っている地層を見学しました。

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その後、美里文化ホールに置かれている、化石の沢山入っている地層標本を触れながら観察、その後両校の生徒達が混ざり合ってグループをつくり交流学習をしました。

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貝石山は天然記念物で、化石の採集は出来ませんが、田原小学校の子ども達から、一人一人化石をプレゼントされ、みさとの丘学園の6年生は大喜びでした。こんなこともあって、子ども達はとても熱心に交流行事に取り組んでくれました。

■学びの機会を続ける

11月30日の行事、お手伝いした私たちは、大成功と思いたいのですが、果たして生徒達の反応や如何に。
自分たちの善意のお仕着せになっていないか、大変気がかりでした。明くる2019年2月12日、この年も化石学習が出来ないか、みさとの丘学園の先生方、津市教育委員会、津文化協会、美里文化協会、そして総合博物館が相談会をもちました。
会場のみさとの丘学園には、11月30日の学習について6年生が作った壁新聞が、一面に張られていて、熱気と共に子ども達が良い学びをしてくれたことが一目瞭然に見て取れ、安堵しました。同時に、化石学習を続けることの意義を確認しました。

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■思わぬ展開

壁新聞は、しかし、思わぬ展開を引き起こすことになります。新聞をみた4年生達が、「化石がとれるんやー」と大感動、勝手に化石グループなるものを結成、ワッペンまで自前で作り、早速行動に出たのです。しかし、行動の舞台はなんと校庭。そこら中を掘りまくったのです。

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化石の産地ですから、校庭の盛り土にも化石の入った石が含まれています。そして、ついに子ども達は、ミサトツノガイをはじめとするいくつかの化石を発見、意気揚々と校長先生にお披露目したのです。心優しい校長先生、4年生の行いを喜んでくださいました。

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こんな事もあって、2019年も化石学習を続けようという機運が高まりました。しかし、そのためには、教材として化石を調達する必要が生じました。この化石を調達するのがなかなかの難題でした。化石調達にまつわるエピソードは、いずれ続報にてお伝えします。
*****
子どもたちの輝くような笑顔が象徴的ですね。地域交流についても非常に重要なところで、ミュージアムの役割のひとつ、「人と人をつなぐ」役割を見事に実践していらっしゃいます。続報もあるとのこと、楽しみですね!
[2021/01/17 22:00] | 未分類 | page top
おひなさまと雛道具ー新春の華やぎー@桑名市博物館
明日からは少しだけ今日よりあたたかくなりそうですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
こんばんは、桑名市博物館の元職員・K.Mです。
先週の土曜日より、当館の新春企画展「おひなさまと雛道具ー新春の華やぎー」が始まりました。2階特集陳列と合わせて、簡単にご紹介したいと思います。



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[2021/01/12 23:18] | 未分類 | page top
【桑名市博】ミュージアムの中の人の履歴書 若井嘉人さん(鳥羽水族館)
三重県博物館協会加盟館園の「中の人」を紹介していく連載企画です。

記念すべき第1回目は鳥羽水族館の若井嘉人(わかい・よしひと)副館長にご登場願いました。

それでは若井さん、どうぞよろしくお願いいたします。

*****
-お生まれはどちらでしょうか。

【入社当時の写真を持つ若井さん】
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私は大阪の堺というところの生まれで、三人兄弟の長男です。

父は鉄工所で働く旋盤工です。手先が器用で、いわゆるエンジニア気質の持ち主ですね。
私のお祖父さんが釣り好きでね、よく釣りに連れていってもらいました。

小さい頃から生き物好きでしたが、そういう機械といいますか工学的なものも興味がありました。ですので自分の根っことしてはそういう自然科学系のものがあるんだと思います。

高校は大阪府立登美丘高校です。今はダンスで有名になりましたけどね(笑)

さて高校で自分の進路を考えた時に、やはり脳裏に浮かんだのは父の背中を見て、というわけではないのですがエンジニアだったんです。
機械工学をやりたい、と。そして大学もそうしたところを受験したんですがそこは残念ながらダメでして一年浪人することになりました。

その浪人時代に、書籍、エッセイというか一冊の本を手に取りまして。

ムツゴロウこと畑正憲さんの『ムツゴロウの青春記』でした。

これを読みまして、やはりキザなんですが自分の「一生の仕事」って何だろうと考えたんですね。深く考えたんです。そして人の生活を豊かに出来る仕事がやはりやりたい、と思って、エンジニアではなく自然を相手にする仕事を考えたんです。

-そこから工学から関心が移っていくわけですか。

そしてこれからは海だろう、と。海洋資源だろう、と。そう考えました。

そして近畿大学水産学部へ入学しました。今は「近大まぐろ」で知られていますけども。そうなんです、どこも割と出身校が旬なんですよ(笑)

とにかく山、海、池、自然を相手にする仕事がしたかったんです。そして海水増殖学という研究室に入ったんですが、白浜に研究所があって、1年間はそこで過ごさないといけないんですよ。全寮制で。

近大は実践主義ですので、そこでの生活費も自分で稼ぐんですね。プランクトンを作ったり、船の生簀に餌やりにいったり、色々な研修をしながら自分で稼ぐ訳です。ちなみに卒論はヒラメの染色体の研究をしました。そうして1年間勉強して就職の時期になるわけです。

ところが就職先が決まってないんですね。

そんな中、近大の卒業生で水族館に就職された方が鳥羽水族館で活躍していらっしゃって、丁度欠員が出たので誰が良い人いないか、と指導教官に話が来たんです。

そして私、これ余談ですけど指導教官の奥様に気に入られてですね、その奥様からの御口添えもあったのかも知れないですけど、指導教官からまぁ真面目にやってる若井君を…と紹介していただいたんです。

ただ、

「給料安いよ」

と(笑)。

本当に安かったですね。ただ、自分の好きな動物をお世話出来たり、研究ができたりというある種自分の追い求めていた仕事ということと、あと先輩からもかなり強く誘っていただいたので、結局鳥羽水族館入りを決めたんです。

【入社当時(1984年頃)の鳥羽水族館(旧館)】
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ですので、水族館にはたまたま、たまたま入ったわけです。本当に今思うと縁というか、タイミングだとそう思います。

-水族館を目指す方に一言お願いします。

水族館は見た目は華やかですが、いわゆる「K」の付く仕事。きつい、汚い、危険、これにもう一つKがついて、給料が安い。

もちろん個々の能力も問われますが、チームワークも大事。動物好きであると同時に人とのコミュニケーション能力が問われる仕事です。

夢のある仕事ですが、夢だけでは続かないのでそれなりの覚悟が大事です。
そうした覚悟のある方に目指してもらいたいと思いますね。

-配偶者の方との馴れ初めは。

妻との馴れ初めですか?必要ですかその質問(笑)
職場結婚ですね。先に飼育部に配属されてまして。

職場では秘密にしてたかったって?それも必要ですか?(笑)

そりゃ秘密にしてましたけど、当時はスマホもなく、家に電話をかけると親が電話口に出る時代でしたから…いやもういいでしょこの話(笑)

【ジュゴンのセレナと泳ぐ(1990年頃)】
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*****
水族館での人知れぬご苦労も様々お伺いしましたが、そうした部分だけを表に出さず「夢のある場所」としての施設を守ろうとする若井さんのお言葉に「覚悟」を感じたインタビューでした。若井副館長、ありがとうございました。(三重県博物館協会理事・杉本)

※若井さんからのお話を元に執筆していますが、文責は全て筆者にあります。
[2021/01/10 10:00] | 中の人の履歴書 | page top
千歳文庫と川喜田半泥子@石水博物館
明けましておめでとうございます。
桑名市博物館の元職員・K.Mです。
年末に某理事から「来年もよろしくネ!(大意)」というメールをいただきましたので、本年もぼちぼちと、勝手に展覧会のご案内などをしていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。




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[2021/01/06 17:41] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
【四日市博】2021年あけましておめでとうございます!
昨年はコロナに振り回され、皆さん本当に大変な一年を送られたかと思います。まだまだ収束(終息)の兆しも見えず、不安な年の始めですが、くれぐれも健康には気を配り、頑張っていきましょう。

ところでお正月最初に食べるお雑煮、皆さんのお宅では、

中のお餅は丸形ですか、四角ですか?

また焼いた餅ですか、焼かずに入れますか?

そして汁は「すまし」ですか、「みそ」ですか?

私は仙台に生まれ、就職するまで東北に住んでいました(26年間)。その後名古屋に住み(25年間)、奈良に単身赴任し(8年間)、2009年からは再び名古屋に居住しています。狭い範囲ではありますが、日本の東と西の文化、風習の違いを体験し、すごい面白さを感じています。

ちなみに私の実家の雑煮は「すまし・角餅・焼く」です。

これを全国的に見たある調査<註1>では、

富山―石川―福井―滋賀―京都―奈良―和歌山を結ぶ線より西は、「みそ・丸餅・煮る」が中心。

一方、新潟―長野―岐阜―愛知―三重を結ぶ線より東は「すまし・角餅・焼く」が中心だそうです。

ただし、「焼く」と「煮る」には同一県内でも異なった地域も多く存在するとのこと【表Ⅰ】。

【表Ⅰ】
表Ⅰ

もちろん例外もあるとは思いますが、大きな傾向としての日本の東西文化の違い面白いですね。

そう言えば、私が三重の言葉でびっくりしたのは「ささって(三明後日)」

【表Ⅱ】のように、今日から数えて1日後(あした/明日)、2日後(あさって/明後日)までは全国ほぼ同じ言い方。

しかし、3日後から違って来る。

「やのあさって」と「しあさって」の順番が地域によって全く反対に用いられることに、一体どうなっているんだと疑問に思っていたところに、三重(特に伊勢志摩地域)の「ささって(3日後)」「しあさって(4日後)」が登場した。

さらに関西以西では「しあさって」「ごあさって」と言うこともあるらしく、もうこれはお手上げ状態。

【表Ⅱ】
表Ⅱ

どれが正しい、間違っているということではなく、世界中の国に比べて、そう広いという訳ではない日本の国土に、これだけ多様な文化や生活様式が存在していることが、楽しく、面白く、貴重なことだと思いませんか。

近年の日本史学、民俗学の研究成果では、日本の東西の違いだけでなく、南(沖縄や南西諸島)と北(北海道)の独自の文化をも加えて、日本には4~6つの異なった基盤を持った文化・風俗が存在し、それは現代までも影響を与えているということです。そうした風俗や伝統を、これからもリスペクトし、何よりも楽しんでいけたらと改めて考えている今年の正月です。 (四日市市立博物館 吉田俊英)

<註1> 朝日新聞「日曜ナントカ学」(2008年5月25日)
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吉田俊英館長からお雑煮を食べたくなるコラムをお寄せいただきました。

本年もどうぞ三重県博物館協会を宜しくお願いいたします!
[2021/01/01 11:30] | 未分類 | page top
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