既に3月27日付けの瀧川さんのブログ記事で紹介いただいた春の企画展
![]() 企画展「名所発見・再発見」会場スナップ 「名所発見・再発見~浮世絵でめぐる三重の魅力~」 を4月16日(土)から6月12日(日)まで開催しております。 ![]() 連携企画 交流展示室会場スナップ また、この企画展と連携して2階の交流展示室では県下の全市町(29市町)のポスター、パンフレット等の展示(入場無料)も行っています[2]。江戸時代に描かれた三重の各地の風景と現在の市町の風景を対比して眺めるのも面白いと思いますので是非交流展示室にもお立ち寄りください。 さて、江戸時代の伊勢参りなどを現在の旅行とのアナロジーで捉えてみるとさしずめ御師は総合旅行業者・コンシェルジュ、浮世絵や名所図会は観光パンフレットやガイドブックに相当するでしょうか。 今から300年間に既に安全・安心な旅を提供するシステムが整っていたことは驚きです。 翻って最近の状況を見てみると、出発地と目的地をキーワードとしてWeb検索を行うと、交通機関のダイヤからホテルの空き状況、近隣のおすすめ観光スポットの紹介まで、多種多様な情報が簡単に入手できるようになっています。海外旅行も含め、ひとたび旅行の目的地とスケジュールを決めれば交通機関やホテルの予約などを自宅に居ながらにしてインターネットを使って簡単に行え、旅行に出かけるハードルは格段に低くなっています。一方で、現在では点と点を結んだ旅が大半となり、途中の風景を楽しんだり地元の人との触れ合いを楽しんだりする機会は失われてきたように思います。 江戸時代には徒歩で1ヶ月以上もかかる旅に出た訳ですが、そのモチベーションはどこにあったのでしょうか。見知らぬ土地を訪ねてみたいという欲求は時代を越えて人が備えている性(さが)なのでしょうか。旅行自粛が求められている昨今ですが、まずは企画展の浮世絵や名所図会、あるいは市町のポスター等をご覧いただき江戸時代の人々の旅行に対する思いを感じとり、新型コロナ感染終息後には是非とも三重県内はもとより、見知らぬ土地への旅行に出かけられてはいかがでしょうか。 [1]URL https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/MieMu/p0031300070.htm [2]連携企画「実はそれ、ぜんぶ三重なんです!」~MieMuで魅力再発見!令和版三重の旅~ ***** コロナの中でなかなか旅行にいけない気分をぜひ県博の展覧会で解消してください。 |
![]() 01「この場所」(南崎町) ![]() 02「この場所」(南崎町) 写真の「この場所」(南崎町)、今から100年前には何があったでしょうか。100年前といえば、大正十一年(1922)。 実は、この場所には明治四十五年(1912)四月に開校した実業学校がありました。学校名は、三重県鈴鹿郡立農学校。つまり鈴鹿郡が経営していた実業学校です。 ![]() 03町立三重県亀山実業学校時代の「この場所」(亀山市歴史博物館蔵) ![]() 04西丸の町立三重県亀山実業学校校庭(亀山市歴史博物館蔵) ![]() 05私の子どもが亀山中学校生だったときの校庭(西丸町) それが、今から100年前の大正十一年(1922)三月四日、三重県鈴鹿郡立農学校が、県立の実業学校となったのです。その校名は、三重県立鈴鹿農学校です。 しかし、現在、三重県立鈴鹿農学校は亀山市に存在しません。どうなったのでしょうか。この学校は、昭和四年(1929)3月31日を以て廃止となりました。その代わり三重県は三重県立河原田農学校を四月より開校しました。 さて、「この場所」の100年前は、これで終わったわけではありません。 昭和5年(1930)に西町の寺院の幼稚園跡に開校した私立亀山公民学校が開校し、翌昭和六年(1931)には、三重県立鈴鹿農学校跡の校舎の払下を受け、「この場所」に移転開校しました。 昭和十年(1935)四月、「この場所」の私立亀山公民学校は、亀山町へ移管され、実業補習学校規定に依る町立亀山実業公民学校となりました。 しかし、同じ月に青年学校令が公布され、従来の実業補習学校規程による学校は青年学校と看做す事となったため、町立亀山実業公民学校は、同年十月に実業学校の規程に依り、農科と商科の学科を設けた町立三重県亀山実業学校となりました。「この場所」の五つ目の学校です。 そして、昭和十五年(1940)、町立三重県亀山実業学校は、「この場所」から移転しました。その場所は、今亀山市立亀山中学校(西丸町)のところです。 では「この場所」は、その後どうなったのでしょうか。 昭和十八年(1943)、町立三重県亀山実業学校に農業科の女子部(昭和十九年に商業科を設置)が設置され、「この場所」を利用したとのことです。 同時に西丸の方では、農業科と商業科を持つ男子部(昭和十九年に商業科廃止し、機械科を設置)となりました。 戦後、新制教育制度により、町立三重県亀山実業学校は県立となり、大正十二年(1923)に「県立」に変更した三重県立鈴鹿高等女学校等と共に三重県立亀山高等学校となりました。この場所は鈴鹿高等女学校のところです。 ![]() 06東町の三重県立鈴鹿高等女学校講堂と正門(亀山市歴史博物館蔵) ![]() 07三重県立亀山高等学校正門(以前は東町今は本町 亀山市歴史博物館蔵) ※開催中の企画展「亀山高等学校とその歴史」をどうぞお楽しみください。 小林秀樹(こばやし・ひでき/亀山市歴史博物館) ***** 100年の間にさまざまな学校があったんですね~。 |
朝日町歴史博物館の片山です。
ブログ当番表を3月までしか確認していなかったため、4月3日分のブログに穴を開けてしまい申し訳ありませんでした。 令和4年度もよろしくお願いいたします。 令和4年度が始まりました。 博物館の内容ではありませんが、当館は図書館も併設されております。 人事異動により正規の司書が事務職への異動を命じられたため、正規職員がいなくなってしまい、図書館業務の大幅な見直しが必要になってしまいました。 一方、博物館においても昨年度に引き続き、学芸員が町史を作成する課との併任となってしまい、年度の初めから頭が痛い事ばかりです。 皆さんにおかれましても、人の確保には頭を痛めている事かと思います。 いきなり年度の初めから愚痴になってしまいましたが、今年度はいい事もあります。 何と朝日町教育文化施設は、11月に開館25周年を迎えます。 平成9年11月1日に開館し、25周年を迎えられる事は、本当に喜ばしい事だと思っています。 開館25周年記念事業としましては、歴史博物館においては、企画展事業を計画しています。 また、図書館においても、絵本の読み聞かせや、絵本作家によるワークショップの開催を検討しています。 ただし、昨今のコロナ事情を見ていますと、今年度もいろいろ悩まされながら準備をする事になりそうです。 厳しい財政事情により予算が確保できたのは、以上のとおりですが、予算がかからない方法で何かいいイベントがありましたら、教えていただければ助かります。 (片山 裕之 かたやま・ひろゆき/朝日町歴史博物館) ----- 朝日歴博さん、開館25年おめでとうございます。ますますのご発展をご祈念申し上げます。 |