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【斎宮歴博】ゴールデンウイークを終えて

③展示風景(中央手前は明治3年製双頭レール)

毎日、昼休みには斎宮歴史博物館周辺を散歩しておりますが、斎宮跡の史跡内には近鉄電車が走っており、散歩中に必ず近鉄特急に出会います。

平日昼時の近鉄特急は、斎宮駅を通過する頃には乗客はまばらですが、ゴールデンウイーク中はたくさんの人影が見られました。

「最近、県外への旅行は行っていないな・・・」
「私が行っていないということは、県外からの来館者も少なくなるのも仕方ないな・・・・」
「よし、夏にはどこかへ旅行しよう・・・」

などと思いながら散歩をしています。

令和4年度に入り、まだまだ、新型コロナウイルス感染症の新規感染者数は、高止まりをしておりますが、まん延防止等重点措置、緊急事態措置もなく、来館者は少しずつ戻ってきた感があり、ゴールデンウイーク中には多く方に来館いただきました。しかしながら、団体客だけは戻っていない状況が続いています。

現在、当館では春季企画展「鉄道模型で見る懐かしの鉄道輸送」を開催しております。

①斎宮 春季企画展 三重の文化

② 近鉄貨車車票(吉野神宮駅発吉野口駅経由国鉄総武線錦糸町駅行き)

令和4年度は、鉄道開通150周年にあたることから、かつて日本経済や私たちの日常生活を支えた鉄道の物流に焦点を当て、鉄道模型や実物資料などで紹介する展示をしております。

春は社会見学等も多く子供たちにわかりやすい展示、また、鉄道好きの方にも来館いただき、斎宮跡のファン層を広げていきたいとの思いもあります。

ほとんど展示されたことのない双頭レールなども展示しておりますので、興味のある方はこの機会にご来館いただければと思っています。

③展示風景(中央手前は明治3年製双頭レール)

最後に、6月5日(日)に規模は少し縮小されますが、3年ぶりに斎王まつりが開催されることになりました。斎王も決まり準備が進められていますので、こちらも期待していただければ思います。

(大西宏明 おおにし・ひろさき/斎宮歴史博物館)
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斎王まつりの復活、おめでとうございます。斎宮歴博周辺の散策もみなさまぜひお楽しみください。
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[2022/05/15 22:00] | 未分類 | page top
【松阪】三井高利生誕400年三井家発祥の地 豪商のまち松阪めぐり
◎旧長谷川治郎兵衛家・旧小津清左衛門家・原田二郎旧宅の館長の松本吉弘です。
本年度三重県博物館協会の理事としてお世話になります。よろしくお願いします。

1長谷川前ウォーキング

今年は、三井高利生誕400年です。
5月3日に、JR東海が「三井高利生誕400年三井家発祥の地 豪商のまち松阪めぐり」としてさわやかウォーキングを企画してくれました。

2長谷川矢印
旧長谷川治郎兵衛家でも三井家関係のミニ展示を行いました。

原田二郎旧宅にもコースの近くということで約2時間に200余の人に入館していただきました。

3原田玄関ウォーキング

4原田庭ウォーキング0001
武士のまちとしての側面もあります。

松坂城跡を巡る堀の表示が展示してあります。熱心に見学していただきました。

5原田東屋甲冑
さて、原田二郎旧宅では、5月から日曜日と祝日に甲冑体験を始めました。5月5日は子どもの日でした。

5人の小学生が体験をしてくれました。

6原田玄関集合甲冑
初め恥ずかしがっていた子どもたちも、町を歩くとすっかり、武将気分です。

7御城番前甲冑0001
観光客に呼びとめられてポーズを取ってカメラにおさまったりしました。

8石垣前甲冑0001
松坂城跡を巡っての楽しい1時間余りの体験はあっという間に過ぎました。良い思い出ができたことでしょう。

私たちは、展示だけでなく市内の様々な団体と協働して体験的な事業も企画しています。

今後ともよろしくお願いします。

(松本吉弘 まつもと・よしひろ/旧長谷川治郎兵衛家・旧小津清左衛門家・原田二郎旧宅)
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今年のGWは天候もよく、子どもたちにも良い思い出となったことと思います。かわいらしい甲冑姿ですね。
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お子さんの写真は保護者および本人に了解をもらっている旨、松本さんより連絡いただきましたので写真を差し替えました。(0509追記)
[2022/05/09 23:30] | 未分類 | page top
【三重県博】企画展「名所発見・再発見」始まりました
既に3月27日付けの瀧川さんのブログ記事で紹介いただいた春の企画展

企画展
企画展「名所発見・再発見」会場スナップ

「名所発見・再発見~浮世絵でめぐる三重の魅力~」

を4月16日(土)から6月12日(日)まで開催しております。

交流展示
連携企画 交流展示室会場スナップ

また、この企画展と連携して2階の交流展示室では県下の全市町(29市町)のポスター、パンフレット等の展示(入場無料)も行っています[2]。江戸時代に描かれた三重の各地の風景と現在の市町の風景を対比して眺めるのも面白いと思いますので是非交流展示室にもお立ち寄りください。

さて、江戸時代の伊勢参りなどを現在の旅行とのアナロジーで捉えてみるとさしずめ御師は総合旅行業者・コンシェルジュ、浮世絵や名所図会は観光パンフレットやガイドブックに相当するでしょうか。

今から300年間に既に安全・安心な旅を提供するシステムが整っていたことは驚きです。

翻って最近の状況を見てみると、出発地と目的地をキーワードとしてWeb検索を行うと、交通機関のダイヤからホテルの空き状況、近隣のおすすめ観光スポットの紹介まで、多種多様な情報が簡単に入手できるようになっています。海外旅行も含め、ひとたび旅行の目的地とスケジュールを決めれば交通機関やホテルの予約などを自宅に居ながらにしてインターネットを使って簡単に行え、旅行に出かけるハードルは格段に低くなっています。一方で、現在では点と点を結んだ旅が大半となり、途中の風景を楽しんだり地元の人との触れ合いを楽しんだりする機会は失われてきたように思います。

江戸時代には徒歩で1ヶ月以上もかかる旅に出た訳ですが、そのモチベーションはどこにあったのでしょうか。見知らぬ土地を訪ねてみたいという欲求は時代を越えて人が備えている性(さが)なのでしょうか。旅行自粛が求められている昨今ですが、まずは企画展の浮世絵や名所図会、あるいは市町のポスター等をご覧いただき江戸時代の人々の旅行に対する思いを感じとり、新型コロナ感染終息後には是非とも三重県内はもとより、見知らぬ土地への旅行に出かけられてはいかがでしょうか。

[1]URL https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/MieMu/p0031300070.htm
[2]連携企画「実はそれ、ぜんぶ三重なんです!」~MieMuで魅力再発見!令和版三重の旅~
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コロナの中でなかなか旅行にいけない気分をぜひ県博の展覧会で解消してください。
[2022/05/01 22:00] | 未分類 | page top
【亀山歴博】100年前の「この場所」
01「この場所」(南崎町)
01「この場所」(南崎町)

02「この場所」(南崎町)
02「この場所」(南崎町)

写真の「この場所」(南崎町)、今から100年前には何があったでしょうか。100年前といえば、大正十一年(1922)。

実は、この場所には明治四十五年(1912)四月に開校した実業学校がありました。学校名は、三重県鈴鹿郡立農学校。つまり鈴鹿郡が経営していた実業学校です。

03町立三重県亀山実業学校時代の「この場所」(亀山市歴史博物館蔵)
03町立三重県亀山実業学校時代の「この場所」(亀山市歴史博物館蔵)

04西丸の町立三重県亀山実業学校校庭(亀山市歴史博物館蔵)
04西丸の町立三重県亀山実業学校校庭(亀山市歴史博物館蔵)

05私の子どもが亀山中学校生だったときの校庭(西丸町)
05私の子どもが亀山中学校生だったときの校庭(西丸町)

それが、今から100年前の大正十一年(1922)三月四日、三重県鈴鹿郡立農学校が、県立の実業学校となったのです。その校名は、三重県立鈴鹿農学校です。

しかし、現在、三重県立鈴鹿農学校は亀山市に存在しません。どうなったのでしょうか。この学校は、昭和四年(1929)3月31日を以て廃止となりました。その代わり三重県は三重県立河原田農学校を四月より開校しました。

さて、「この場所」の100年前は、これで終わったわけではありません。

昭和5年(1930)に西町の寺院の幼稚園跡に開校した私立亀山公民学校が開校し、翌昭和六年(1931)には、三重県立鈴鹿農学校跡の校舎の払下を受け、「この場所」に移転開校しました。

昭和十年(1935)四月、「この場所」の私立亀山公民学校は、亀山町へ移管され、実業補習学校規定に依る町立亀山実業公民学校となりました。

しかし、同じ月に青年学校令が公布され、従来の実業補習学校規程による学校は青年学校と看做す事となったため、町立亀山実業公民学校は、同年十月に実業学校の規程に依り、農科と商科の学科を設けた町立三重県亀山実業学校となりました。「この場所」の五つ目の学校です。

そして、昭和十五年(1940)、町立三重県亀山実業学校は、「この場所」から移転しました。その場所は、今亀山市立亀山中学校(西丸町)のところです。 では「この場所」は、その後どうなったのでしょうか。

昭和十八年(1943)、町立三重県亀山実業学校に農業科の女子部(昭和十九年に商業科を設置)が設置され、「この場所」を利用したとのことです。

同時に西丸の方では、農業科と商業科を持つ男子部(昭和十九年に商業科廃止し、機械科を設置)となりました。

戦後、新制教育制度により、町立三重県亀山実業学校は県立となり、大正十二年(1923)に「県立」に変更した三重県立鈴鹿高等女学校等と共に三重県立亀山高等学校となりました。この場所は鈴鹿高等女学校のところです。

06東町の三重県立鈴鹿高等女学校講堂と正門(亀山市歴史博物館蔵)
06東町の三重県立鈴鹿高等女学校講堂と正門(亀山市歴史博物館蔵)

07三重県立亀山高等学校正門(前東町 今本町 亀山市歴史博物館蔵)
07三重県立亀山高等学校正門(以前は東町今は本町 亀山市歴史博物館蔵)

※開催中の企画展「亀山高等学校とその歴史」をどうぞお楽しみください。

小林秀樹(こばやし・ひでき/亀山市歴史博物館)
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100年の間にさまざまな学校があったんですね~。
[2022/04/24 22:00] | 未分類 | page top
【桑名市博】三博協、中の人の履歴書~大西宏明さん(斎宮歴史博物館)~
―どうぞ宜しくお願いいたします。まずご出身からお伺いしてよろしいでしょうか。三重県のご出身でしょうか?

ええ、生まれも育ちも三重県でして、玉城町です。南の方ですね。

―小さい頃はどのよう過ごされていましたか?

子どもの頃ね、私テニスやっていたんです。小学校から軟式テニス

―えっ、なかなか珍しいですね。小学校からテニスとは。何かそういったスクールがあったんですか?

珍しいでしょう?スクールとかたいそうなもんやないんですけど、地元に熱心な方がおられて、それで指導していただいたんです。みんな小学生からテニスやってないんで、中学とかは結構活躍出来ました(笑)

①20220409_145808
テニスの大会で表彰される

―スポーツマンでらしたんですね。高校はどちらに進学されましたか?

宇治山田高校に進学しました。家から通えましたしね。高校生の時は都会へのあこがれがありまして、京都や東京の大学も視野に入れていたんですが、地元の松阪大学へ進学しました。

―学部はどちらでしたか?


政治経済学部です。そこで、加藤富子先生の講義を聴く機会がありまして。加藤先生といえば地方自治のエキスパートの方ですけれども、そのお話で大げさに言いますと体中に電流が走ったといいますか。衝撃を受けましてね。それでまぁ地方自治について興味を持ち、志した、というようなかたちです。

―まさに加藤富子先生の言葉が大西さんの人生に影響を及ぼしたということになるのですね。それで三重県庁に入庁されてからはどういったお仕事を主にされましたか?

最初は広報課に配属されましたね。そのあと、職種としては建設や土木系が長かったですね。用地買収もやりました。

②20220409_145834
県庁に入られたころ

―博物館や、文化施設での勤務は初めてでらっしゃいますか?

そうですね、初めてです。館長って最初は何やるんやろう、というような感じでしたが(笑)、徐々に慣れてきたところもありますね。

―今後、斎宮歴史博物館の目指したいことなどについてお伺い出来ますか?

斎宮というのは史跡も含めて大変重要な場所ですので、斎宮歴史博物館だけではなく、明和町様はじめ地域の諸団体とひとつになって地域を大事に、また盛り上げていく必要があると思っています。やはり地域、地元の方の理解がないと何ごとも始まりませんので。

―ありがとうございました。引き続き地域の核となるミュージアムとして、地元と共働し、斎宮の大切さをご発信いただきたいと思います。最後に恒例の質問ですが、パートナーの方とはどこでお知り合いになられましたか?

聞かれるよ、とは聞いていましたが本当に聞くんですね(笑)。高校の同級生ですが、高校の時からというわけではありません。このあたりで(笑)

―わかりました、どうもありがとうございました(笑)

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※大西さんには思い出の写真をお願いしていたのですが、頂戴することが出来ませんでした。あわせてお詫び申し上げます。
また、大西さんへのインタビューをもとに構成しておりますが、内容につきましては筆者(桑名市博物館・杉本竜)に責があります。
[2022/04/23 22:00] | 中の人の履歴書 | page top
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